大無量寿経について(10)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(10)ー臼杵祖山ー

 

思うに釈尊一代の法門は、実を言えば総てこのせしめたまえりの境地であった。親鸞聖人は如何なる経文を読まれても、いつも信仰徹底の体験者であり、体読者であって、決して文字言句に囚われない自由心読者であられました。これを一文を挙げて申しますれば、善導大師の不得現外賢善精進之相内懐虚仮の文につきて、他の多くのお方は、

「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を抱くことを得ざれ」と。

これは内心と外相と一致せねばならぬという、即ち知行合一的の道徳としての文字である。然るに親鸞聖人は、

「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」

これは親鸞聖人の自照の世界に立って見る時に、自分は一体賢善精進の相を現ずるという資格があるか、全く無有出離之縁の内心虚仮に充たされているものではないか。それは全く無漏慧命の尽き果てたものである。

たとえば、一身上の一部にどこかに病氣があるという程度でなく、全身が不治の病氣にかかっているというか、若しくは全く脈があがって死人同様である。それに白骨が舞踏するようなことを言う。即ち聞けよ信ぜよと、それを聞きましょう、信じましょうとに受け入れるような、空虚なことがどうしてできようか、できる理由がない。そこで自分は全く聞き且つ信ずることの全然出来ないもの、ただ至心に廻向せしめたまえる本願に救われるより外ないという痛烈な信仰の味わいから総てを見られたのである。かくのごとく体読上より来たる見方は、本典正宗分最後に引用された論語先進第十一編の文においても、

季路問事鬼神子曰不能事人焉能事鬼

この文についても一般では、

人につかうること能わず、いづくんぞ能く鬼につかうらん

と読んでいるのである。しかるに親鸞聖人は、

つかうること能わず人、いづくんぞ鬼につかうらん

と体読されてある。これについては六要鈔にも解釈がありますが、それは私は取らない、私の意を以て思うに一体私達は事るという総てのことから離れているという意味である。全く自分の総ての行為を否定せられたのであります。それほど自分自身に徹底されるのである。そこで聞名信喜という教えの下に、聞きました信じましたと思う分際は、恐らくは虚妄の転倒想にすぎないのであるとの見地である。単なる理想にあらざれば誤れる妄見であります。版木に彫り込まれた字を本として摺り出された字とが、同じ向きになっていたならば、それは全くウソである。聞け信ぜよという教えに対して、聞き得ざる我、信じ得ざる我を自照された時、ここに初めて真実の聞信の境地に達したのである。単なる空虚なる理想、誇張せる妄想は駄目である。私達はもっともっと自照し凝視せねばならぬ。版木の左文字が左文字のままに写るというようなことにならずに、右文字の正確に写っていることを道味とすべきことであります。しかし、これが斯様でなければならぬと決して強いるのではありません。それは私が私自身の信嘗道味であります。それなら他の多くに人々がみなこのように是非ならねばならぬとは言われないのであります。ただ私一人の上にとってのことであります。だから私は斯様であるから良いとも、斯様でないから悪いとも言うのではありません。ただ私一人の愛楽仏法法味禅三昧為食のままを述べるまでであります。

ここに更に至心に廻向せしめたまえる御心を味わうて見たいと思います。昔から君子は容貌愚なるが如しと、又大賢は愚なるが如しと言いますが、全くその通りであります。真実に愚に徹底された方は最も尊重なる人であると思います。これに就いてつくづく思わされますことは、私と言うものの真実が全くの空っぽになられない。何かの飾りを付けなければ承知の出来ないという憐れっぽい心根であり、始終何か一つくらいは、せめて修飾せねば肩背が狭まるように感ぜられ、また何物か一つ握り込まねば沈むような恐れを抱くのが、これが凡夫とでも名付けらるる一面の表示であろう。が、これを思い切って飾りを取り捨てて、赤裸裸となり、露堂々となり、また沈むべきものが徹底的に沈む。そこに初めて飾りのない自分のありのままのくつろぎがあり、また落ち着くところに落ち着くという安定が見出されて、そこに初めて道が開けるのであります。が、どうも私達は何事も不徹底であり、不真面目であります。そこで従って、安定もなく堂々なる気持ちもなく、どこどこまでもグズグズとして、それがしかも賢さを装いたる愚人の態度であります。外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を抱くという、似而非的までにも及ばない似もつかぬ憐れな心象相状であります。

ー(11)へ続くー

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