手記「念仏を称える意味」-諏訪了我-

 「念仏」とは、「称名念仏」を略して言ったもので、南無阿弥陀仏(ナモアミダブツ)という仏の名を称えるということです。

 親鸞聖人の師法然聖人は、念仏はすべてのものを浄土に往生せしめ、究極の幸せである仏の悟りを開かせようという願いを起こされた阿弥陀仏の本願(根本の願い)に誓われた行であるから、念仏ひとつでどんなものも救われると言われました。念仏は阿弥陀仏の智慧と慈悲のすべての勝れた功徳を具えており、またどんなものにも適う易しい行であることを明らかにされました。この法然聖人の他力念仏の教えに、親鸞聖人は心を開かれたのです。『歎異抄』第二章には、親鸞聖人のお言葉として、

 「この親鸞におきましては、念仏一つで阿弥陀仏にお救いいただくのです、と勧められたお師匠さまの仰せを聞いて信ずる以外にはなにもありません」(意訳)と示されています。

 ところが、この念仏の教えを聞いた人のなかに、自分の称えぶりの善し悪しにとらわれる人がありました。つまり、称える人の器量(学問、智恵、身分、財力、僧俗などの違い)や称える時の心ぶり、環境、生活ぶり、称える数の多少などです。

 これに対して法然聖人は、自分のこざかしい自力の計らいで念仏を考えるのではなく、南無阿弥陀仏に込められた、すべてのものを一人子(ひとりご)として見られ、放っておくことができぬ、必ず救い遂げねばおかぬという阿弥陀仏の親心に安んじて称える念仏は、誰が、いつ、どのような状況のもとで称えようとも、その一声一声には無量の功徳があると言われました。これが他力の念仏です。

 念仏が勝れていると言われたのは、称えぶりによるのではなく、称えている南無阿弥陀仏の名号のそのものに勝れた徳があるからであり、易しい行だと言われたのは、称えることが易しいということではなく、阿弥陀仏の親心に安心した信心によって、なんの計らい心も持たずに称える念仏だから易しいのだということです。南無阿弥陀仏は私のこころに信心となり、口に念仏となってはたらいている活動体なのです。

                          〇

 私の姉は16歳の時、学徒動員として工場で働いていて原爆で亡くなりました。十数年前、尾道市に住む姉の友人から手紙をもらい、当時の様子を知りました。

 「原爆のその日もご一緒で、天満町の東洋製罐で航空魚雷の推進機の部分を作る職場でした。朝、玲子様(姉)は私方の仕事場に何時もの如く『おはよう』と言って見えられ、玲子様が2、3メートル離れたご自分の仕事場につかれるかいなかの時、隣の棟に直撃弾でも落ちたような轟音と赤き火柱を感じ、思わず伏せました。(中略)梁や柱のすきまを縫って出口の方に行きました。出口のちょうど梁の下に玲子様の姿を見つけ、4、5人の友達と力を合わせて、やっとの思いで玲子様を外の広場まで抱きかかえました。

 外に出て驚いたことに、どの方も血だるまのような姿で、地獄絵どころではございません。その時、玲子様は小さい声でハッキリと『お母さん、お母さん』と何度かおっしゃいました。私の腕の中で、玲子様は外観からは無傷でございました。お顔も美しく平安そのものでございました。

 やがて救護班が来ましたので、その方達にゆだねて、私たちは川の中を渡って打越町の当時教頭先生でした菅原教信先生のお宅に避難致しました。(後略)」

 この手紙を読み、姉が死の前に小さい声ではありますが、ハッキリと「お母さん、お母さん」と母の名を呼んだことを知り、胸が熱くなるとともに、姉をして母の名を呼ばしめた母親の偉大さを改めて知らされました。

                                                                                                                (了)

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