スリランカ滞在記(23)

前回は、21世紀最大と謳われた大寒波の当来直前でした。

最初は30年振りの大寒波、そして何故だか10年増えて40年振り、いやいや私は50年振りだと聞いた、と言う人まで現れて、随分と天気予報にはおどされたわけですが、他の地域は別として、いざ蓋を開けてみると、広島市内は数センチ程度の雪しか積もらず、それも午後には溶けて消えてしまいました。

記録的な大雪となった他所様のことを考えると素直に喜べませんが、半世紀に一度の大寒波とやら、何事もなくやり過ごせたようです。ただ、履き替えたクルマの冬用タイヤのみ憐れ。

さてスリランカに戻ります!

今、私は世界遺産ポロンナルワ、の仏教遺跡、ワタダーゲの仏舎利塔入口に来ています。

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いらっしゃいました!釈迦瞑想像・・・いや他の仏様かも知れません。

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どうやら、東西南北、仏塔を取り囲むようにして四方に鎮座されている様子です。

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どの仏様も、微妙にお顔が違います。㊦はちょっとぽってりとし頬と顎に貫録を感じます。

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おや、これは(㊦写真)上半身が根こそぎ破壊されています。しかも、焦げているので明らかに火災に遭ってます。

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ポロンナルワは13世紀後半に南インドに侵略されたということですので、その時の爪痕なのかも知れません。因みに、仏様の背面にある盛り上がった箇所が仏塔となります。

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こちらは仏塔の前にある仏歯寺跡。四世紀、インドからもたらされた釈尊の犬歯は、時代を変遷する毎に権威を帯び、王権を有する者の象徴となっていったそうです。故にスリランカでは仏歯寺が最も権威ある寺院ということになります。

そして、王都が変遷する度に仏歯寺も移転を重ね、現在はスリランカ第二の都キャンディにその居を構えています。

因みに、スリランカは19世紀、イギリスに占領され、その支配に国民は反発しますが、イギリスが仏歯を手に入れると国民の抵抗は止んだとのこと(ガイドブック「スリランカ~地球の歩き方」ダイヤモンド社を参考)。印籠か。

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奥へ入ると、三尊形式の仏像が。例えば釈迦三尊像は、脇に文殊菩薩、普賢菩薩が立っていますが、この方々はどうなんでしょう。中央の仏様は顔を無惨に破壊されています。両脇の少し小さなお像は、一方のお顔が残っているものの、菩薩は通常、王冠のようなものを被っているので、菩薩ではなく、仏様かも知れません。

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こちらはお隣のやはり仏歯寺跡。沢山の石柱が立っていますので、曾ては木造の豪勢な伽藍に覆われていたものと思われます。

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石柱に囲まれた孤高の立像。廃墟の中にあって威厳を放っています。

スリランカの仏像のお顔は、日本の木像のような繊細さとは異なり、南国だからでしょうか、どこか鷹揚なところがあります。また造形も写実的というより、若干デフォルメが加えられており、丸みを帯びています。ですから日本の緻密な造りの仏像を見慣れた目からすると、一瞬稚拙さを感じるのですが、いやいや、眺めれば眺めるほどに味わい深く、胸を打つものがあるのです。恐らく、当時の実際の行者方をモデルに彫られたのでしょうから、必然、その方々が醸し出すオーラもまた、仏像達はまとっていったのでしょう。

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帰り道、おサルの群が遊びに来ていました(笑)

次回は、更に巨大な遺跡へと向かいます。

 

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