原爆忌

本年も8月6日がやってきました。

広島にとって忘れられない日、忘れてはならない日。

昨今、平和公園を訪れる海外の方々が随分と増えておりますが、多くの人が、今の美しく整備された広島の街に驚き、焦土から不死鳥の如く街を再興させた広島の人びとの強靭な精神に畏敬の念を抱いているということです。

私もまた同感で、この広島に生まれ育ちながら、71年前にこの美しい街が一度、徹底的に破壊され尽くして滅ぼされたということが未だに信じられないと思いです。そして、焼け野原となってしまった広島をここまで復興され発展させて来られた先人方の御苦労には、ただただ頭が下がるばかりです。

しかしながら、広島出身ジャーナリストの堀川惠子氏著作「原爆供養塔―忘れられた70年の遺骨」(文藝春秋刊 2015)には、このような記述が見えます。

『あの日、瞬時に命を奪われた人たちが、足元にはまだ大勢眠っている。佐伯さんはいつも「ごめんない、ごめんなさい」とつぶやくように繰り返しながら、平和という名の冠を頂く公園の中をそっと歩いた。』

佐伯さんとは佐伯敏子さんのことで、被爆者で「原爆供養塔の守人」と言われる方です。平和公園の下には、まだ大勢の原爆で亡くなられた方々のご遺骨が眠っている。その上を土足で歩く自分を申し訳なく思っていらっしゃったのでしょう。

表面上、綺麗な街に見える広島ですが、その地層には未だ癒えることのない深い悲しみがあるのです。

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前日の8月5日の晩、広島市内のお寺全体でお勤めする「原爆逮夜法要」が、その原爆供養塔の前で営まれました。供養塔の地下にはおよそ7万人ものご遺骨が納められている(前出書)ということです。

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そして、本日は、元淨寶寺が所在していた旧中島本町(現平和公園内)の原爆犠牲者追悼法要が、当淨寶寺住職導師の元、例年の通り修められました。

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場所は旧中島本町の原爆死没者氏名が刻まれた、慰霊碑と平和観音像前です。

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被爆者の方々、またそのご遺族の方々の高齢化が進み、この法要をどのように後世に引き継いでいけば良いか、喫緊の課題となっております。

今年で第71回目を迎えた「旧中島本町原爆犠牲者追悼法要」その灯を絶やさぬよう、努めてまいりたいと思います。

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