「淨寶」復刻版– category –
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大無量寿経について(11)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】 大無量寿経について(11)ー臼杵祖山ー 左様な点に於いては親鸞聖人は、装うた賢善者でもなく、また飾った愚痴人でもない、畢竟なった愚禿でなくして本来自性愚痴のそのままを信嘗されたのであることが最... -
大無量寿経について(10)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】 大無量寿経について(10)ー臼杵祖山ー 思うに釈尊一代の法門は、実を言えば総てこのせしめたまえりの境地であった。親鸞聖人は如何なる経文を読まれても、いつも信仰徹底の体験者であり、体読者であって... -
大無量寿経について(9)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】 大無量寿経について(9)ー臼杵祖山ー 之について大無量寿経と観無量寿経を照らし合わせてみますと、大経は弥勒菩薩の完全を人格者、即ち聖者が、主観的に自己を凝視したときに、全く自分は展転五道有為勤... -
大無量寿経について(8)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】 大無量寿経について(8)ー臼杵祖山ー 之について思い出すのは、彼の観無量寿経である。同一経文を見ても他師は定善十三観、散善三福九品を以て自己の息慮凝心の聖者、廃悪修善の善人、心を静めて修行して... -
大無量寿経について(7)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】 大無量寿経について(7)ー臼杵祖山ー 自力聖道門の歩みは、自分というものを段々清めて身をただし、行いを正しくして三業の所作を慎んで進み行くという。これは即ち第一歩が自分を善人聖者として踏み出し... -
大無量寿経について(6)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】 大無量寿経について(6)ー臼杵祖山ー 仏菩薩のお心持ちを思うて見るに、私たちの方から見れば最も尊いすぐれた方であるが、それが私たちから尊ばれ敬われ、また親しまれ近づかれる程、それ以上に、自らへ... -
何となくありがたい ー諏訪令海ー
【淨寶第8巻第5号 1928(昭和3)年5月10日発行分】 何となくありがたい ー諏訪令海ー 「何となくありがたい。」 こうした心持ちはちょっと考えると、いかにも力なく、たよりないように思われるのであります。 私たちは何事に対しても水際立って、... -
大無量寿経について(5)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】 大無量寿経について(5)ー臼杵祖山ー 此に於いて大経一部の前後を対照して見るに、前には仏が衆生を合掌恭敬して仏が子となりて衆生を親として愛敬され、後には衆生が仏合掌恭敬して衆生が子となりて仏を親とし... -
大無量寿経について(4)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】 大無量寿経について(4)ー臼杵祖山ー 《恒順衆生とはいわく尽法界虚空界十方刹海、所有衆生種々の差別、いわゆる卵生溼生化生乃至無足二足四足多足有色無色有想無想非有想悲無想、かくの如きらの類、我み... -
大無量寿経について(3)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】 大無量寿経について(3)ー臼杵祖山ー 是等の意味を他の経典の一二について観るに、先ず法華経の五序六端につきて、この土即ち娑婆世界の釈尊説法の六瑞相と、他土即ち十方法界の諸仏説法の六瑞相とを説き... -
大無量寿経について(2)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】 大無量寿経について(2)ー臼杵祖山ー この一人という信甞道味の大地に立ってみる時、そこからどこどこまでも拡げられて、万二千の大比丘衆が現れて来ることは必然である。それはただ、いわゆる宗教とか信... -
大無量寿経について(1)ー臼杵祖山ー
【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】 大無量寿経について(1)ー臼杵祖山ー 経文の文章の完全したものには、大部分、今この大無量寿経の始めにある如く「我聞く是の如し一時仏王舎城耆闍崛山中に住したまい、大比丘衆万二千と倶なりき、一切大...