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真宗学十回講座(第10講)②-梅原眞隆-

【淨寶 1927(昭和2)年3月1日発行分】

「第10講 浄土真宗の社会的考察」②

 第三の菩薩道。これは純粋修道の規範で、自利利他、自覚覚他、自分独りを利するばかりでなく、地上における最後の一人までも救われる世界を内容とした救いであります。自分独りが悟るばかりでなく、他のすべての者からも、真実であると認められるものでなくてはならない。即ち最も深い真実と愛の内にこそ、我々の救いがあることを信ずるものであります。これが今の菩薩道であります。この道を典型的に示したものが、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六度の行であります。

 一切の群生(ぐんじょう、生きとし生けるもののこと)を真実の自分であるみて、広くこれを愛するの道である布施の行と、真実なるものに目をさました第六の智慧の世界とが六度の中心であります。この六度の行を念願とする魂の目ざめををもって、人生の一切を荷負して行ける勇敢な生活者が即ち菩薩であります。維摩や聖徳太子は即ちこの菩薩道の生活者であります。太子は目ざめた生活者であると共に非常になつかしい、うるおいのある菩薩道の体験者でありました。

 中宮寺の曼荼羅の銘の中に「世間虚仮、唯仏是真」(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)即ち人生のことはみな亡びる、その中に亡びざるものが只一つある。それは如来であると。この語が太子の口から出たとは尊い。太子の生活態度としては、ちょっとみると矛盾のようである。なぜなら、太子ほど如来の慈悲をこの地上に持ち来たそうと努力して、現実を愛した方は少ないからである。しかし、よく考えてみると、真に現実人生を愛する人こそ、真に人生の淋しさを味わう人である、人生のありのままを見通された、即ち目ざめた方であります。

 ある日、聖徳太子が片岡山へ遊行(ゆぎょう)なされたときに、飢えたるひとりの旅人が道端に臥しておりました。その旅人の姓名を問わせられたけれども、もはや、お答え申し上げる気力も失せてしまっている。太子は不憫に思召されて、飲食をお与えなされ、且つ、ご自身の召していられた衣裳を脱いで、臥せる旅人に着せかけて、一首の歌をものせられました。

 「階(しな)てる、片岡山に、飯(いい)に飢(え)て、臥(こや)せる、その旅人あはれ、親なしに、汝(なれ)なりけめや、刺竹(さすたけ)の、君はやなき、飯に飢て、臥せる、その旅人あはれ。」

 冬の日さびじく、階(きざはし)をてらす片岡山に、食べ物もなくて、倒れている旅人よ、何という哀れな人であろう。養うてくれる親もなくなったのか。それとも録を与えてくれる君主も見当たらないのか。食べ物も食べずに倒れている旅人よ。何という、いとしい人であろうと、いたわられました。

 時に太子は摂政の宮であられたのであります。あわれな旅人をご覧になって、御身の安らかさを保証する君主はないのか。これはほんとに申し訳のないことであると、摂政としての自責を感ぜられ、只一人の旅人に対して、あやきりながら、自分の着物を着せかけて「旅人よ、安らかにねむれ」と懺悔せられたのでありました。

                        〇

 親鸞聖人の宗教は、どうかすると人生の落伍者の前に開かれた簡易な道のように思われるが、決してそうではありません。聖人は凡人の世界における菩薩道の完成者であります。全ての人の前に同朋愛と愚禿(ぐとく)の意識をもって、立たれた方であります。聖人と太子を見ると、いかにもなつかしさと聡明さとを感じます。それは神の弱さと、強さを持っていられるのであります。

 宗教は何か一辺に限られた世界であって、お念仏なども歓びの時には親しみを感じられず、淋しい、悲しい時だけ親しみのあるもののように思うが、それは大なる誤りであります。歓びにもあれ、悲しみにもあれ、あるがままを受け容れるのが念仏であります。この菩薩道が大乗仏教の根底であります。

 宗教は自他共に本当に生きることができ、生活それ自身の内に本当に生きていける、根底の力を得られるもの、即ち、自利利他円満のものでなければ真の宗教ではありません。

 真宗で説かれる往相(おうそう)、還相(げんそう)は時の前後から言えば、迷いの世界をこえて証(さと)りの世界に赴く、これを往相自利の道と言い、真実の浄土に生まれたものが、我々の世界の全てのものを救うために還ることを還相利他の道と言う。しかし道の相(すがた)から言えば、この二相は道の両面であります。

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 我々は人間の名によって生かしてもらっている限り、聖道諸宗の即身成仏というような如来の完全さをこの土に顕すことはできぬ。これは上(親鸞聖人)の深い反省によるものであって、還相を永久の彼岸におかれた所以であります。

 それならと言うて、聖人の還相世界を救われたる者の余力、即ち救いの余剰価値、自分が助かって余裕があるから、次には他を救う利他の道をとると言うようなことではありません。親鸞聖人は証巻(教行信証の証巻)の内容として還相を出されてのであります。一切の衆生を救う活動は、ただ他を利するためのことでなく、それは自分が救われること、それ自身の内容であって、一切の者を救いたいという念願の愛に目ざめたことが、即ち救われた状態であります。

 今生では、いかに愛おしい、不憫と思うとも、存知の如く救けがたければ、この穢身を持つ限り、思うようにできない。この穢身を破った時に一切を救うことが出来ると信ずる。愛せられる者よりも、愛する者が先ず救われる、利他のための利他でなくて、自利のために利他であります。

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 真宗は理想郷を遠い彼岸の世界へ置く。従って永久の救いにはなるが、地上に活力を持った今の救いにはならぬように考える人がある。真宗中の学者の中にも、それがこの宗の特徴であるように思う人があるようである。

 理想の性質としては、一に現実そのものでない現実を超えたもので、二に何らかの形で現実を導く力にならねばならぬ。この二つがそろわねば理想ではない。我々は浄土の中へのみ、宗教的意識を置かないで、今回向(えこう)されている如来の慈悲を生かす、即ち我々の念仏の中にこれを生かすことが大事であります。

 言うまでもなく、この宗の理想は彼岸の浄土にある。西方は我々の理想郷を顕す。太陽の赴くところは生命の皈趣(きしゅ)、最後の理想のところ、即ち十万億土は迷いの世界を超越した最後の世界を意味するものであります。

                    (真宗学十回講座、完)

真宗学十回講座(第10講)①-梅原眞隆- 

【淨寶 1927(昭和2)年3月1日発行分】

「第10講 浄土真宗の社会的考察」①

 我々は社会的生活をするには、どんな生活が最も感じのよい生活でしょうか。

 それは、すべての人がのんびりと素直に生かされて行く生活でありましょう。自分は他人の邪魔をすることなく、又他人が生きるために自分が無用の犠牲を払うことのいらぬような生活こそは我々の願わしい、最も感じのよい生活でありましょう。

 かつて、ある雑誌が「今の日本でどんな心もちで生活することがよいのか。」という意味を往復ハガキで尋ねてきた時、私は返事をいたしました。

 すべての人に相談したいことは、他人を傷つけ、殺さねば生きられないということは、自分が本当に生きていないことではありますまいか。又、自分が他人のために殺されるということも、その生活には、どこかに大きな欠陥があるのでありましょう。お互いに他人を奴隷や手段にすることなしに、私も他人も心もちよく生きることのできる世界が欲しいのであります。

 こんなことは、平凡な答えではありますが、これは地上の長い願いであって、しかもいまだかつて、叶えられない世界なのであります。

 何れの世界にも何等かのかたちで、暴君と奴隷が存在するものであります。家庭でも主人が暴君であって、妻や子が奴隷であったり、時には妻が暴君で主人や子供が奴隷であるところもある。我々の願いは、そんな家庭でなしに、主人は主人であり、妻子は妻子のままで、しかも皆がより高い統一の上に生きることのできる世界が欲しいのであります。

 ところが、実際は家庭ばかりではない。全ての社会において自分が生きるため、独立するために、とかく他人の独立を束縛することになりがちであります。しかもこれは我々の心持でかなり、何とかできると思います。できる、できぬということは第二の問題として、せめてこの願いの下に、少なくとも反省していくことが宗教的生活であります。地上の実際生活はこれに反して、弱肉強食の実に恐ろしい状態であります。弱い者の肉を喰うのは強いものの権利であり、これはあたり前のことであるかのように思う。しかし、弱い者を最後の一人まで生かすところにこそ、真に強い者の尊さがあるのであります。

 新聞をみると随分気の毒なことが、色々面白そうに書いてありますが、書かれる人になってみると、どんな気持ちがするでしょうか。しかも、それを楽しみ半分にみるという社会はお互いに、もっともっと考え直さねばならぬことであります。一人の女、一人の子、これには親もあり、夫もあり、子もあるでしょう。それらの者が、情けない記事によって、地上ぬぐうべからざる傷をうける。そして、その人が一生立つことのできぬばかりでなく、子孫までも泣かすことになる。これらのことは、どうかして合掌して生きてい人達の念願のもとに浄められたいものであります。

                         〇

 仏教の道を修める人たちに、大体三つのかたちがあります。それは声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)の三つであります。

 声聞は声を聞いて教えを受ける者であります。貴き声に導かれ目を覚まして行く世界。云わば教育の世界であります。声聞という文字を解すればそうでありますが、この声聞の最も著しい性質は、俗に声聞根性と言うて、わが身勝手な心を持つものに名づけられてあるのであります。即ちこれが宗教上に現れると、この地上にどんなことがあっても、自分さえ救われたらそれでよい、つまり私自身が当面の問題で妻や子は捨ててから山に入って悟りを開くという、修行上の利己主義者であります。

 ある青年が申しました。「先生、私に自由に言わせてもらうなら、釈尊は嫌いであります。それはあまりに我身勝手である。愛すべき妻子の眠っている間に山に入ったことは感心できません。もし自分が救われねばならぬのなら、なぜ愛すべき妻子を連れて行かないか。もし、それがために迷うなら、共に迷うて行くことこそ宗教的生活ではありますまいか。」

 これは釈尊は自分を救うというだけに止まられたのではないから、この青年の考えには少し幼稚なところもありますが、とかく修道上の利己主義者になりがちの者に対しては、少なくともこの青年の批判の根底に同感してよいところがあると思います。

 帝大を出て、ある寺の住職をしている私の友人に、非常に真面目な求道者があります。そのお母さんも、奥さんも大変感じのよい、よくできた方々であります。この友人は「よろづのこと、みなもて、そらごと、たわごと、まことあることなきに ただ念仏のみぞ、まことにておわします。」(歎異抄後序)という心で、今は熱心な念仏の行者になっているのであります。それもよいが、ただ念仏のみに熱心で、一方家族の皆が喰わねばならぬ、親しみ合わねばならぬことは忘れてしまって、門徒の方に対しても、葬式や法事などは、とんと念頭におかず「何より念仏が大事です。何事もさしおいて念仏申しなさい。」というような風であるので、お母さんは、「この頃は何もかも、とんとわけが分からなくなりました。尊いお念仏のために、今まで笑うて嬉しい日を送っていた私たちの家庭は、全く淋しい、暗い家庭に変わってしまいましたが、どうしたことなのでしょうか。」

 こんな形は世間によくあることであります。しかも浅はかな者からは、こんな形が、いかにも徹底した修道者であるかのように思われているようであります。

 この尊いお念仏を熱心に、こんなに称えているのがなぜ悪いのでしょうか、とかえって不審に思う者がありますが、人間のつまづきには不真面目な者の上にも、真面目な者の上にもある。畳の上でさえ、つまづくことがあるのであります。修道上のつまづき、これは道の正しい者と言うことはできません。

 第二に縁覚。これは天才的な知識階級の者で、仏の教えでなくとも、自分で天地の道を知るというような、自己体験の世界。これはつまり、独断の世界で全てを小さい自分の考えで支配しようとする者であります。

 以上の利己と独断は自分を亡ぼす、恐ろしい道であります。龍樹(紀元二世紀頃、南インドの高僧)は「地獄に堕ちるとも、声聞や縁覚にはなるな。」と言われました。それは声聞や縁覚になることは永久の生命を亡ぼすものであるからであります。何故なら、地獄に堕ちたものには恐ろしいということが分かり、自分の足らぬことを知る機会があるから、まだ浮かぶ時があるが、この声聞・縁覚の利己と独断の二乗地に入ると、永劫、真に進展の道が絶えるから、これは全く精神的な恐ろしい死であります。

(②へ続く)

真宗学十回講座(第9講)②-梅原眞隆- 

【淨寶 1927(昭和2)年2月1日発行分】

「第9講 浄土真宗の実践的観察」②

□ 宗教と道徳

 我々は実行はとかく難しいが、ともかくも、どうかして悪いことはなるべくしないようにしたいという思いがある。これはどうして、こういう思いがあるかというに、それは対他的の道徳上の苦しみからそんな思いが起こるというよりも、悪いことをして落ち着けない、違約をしたり、うそをついたり、かくれて悪いことをしたりすると魂がおびやかされるという、むしろ芸術的の内の苦しみのために道徳を実行するのである。この心を経験して釈尊が悪いことをすなるな、よいことをせよ、そこに自ら心を浄められると、七仏通戒偈(諸悪莫作、諸善奉行、自浄其意、是諸仏教)を与えられた。自浄其意、そこに真実の救いがあり、仏教がある。これは親切な言い方であり、かなり宗教的な言い方である。釈尊は決して善いことをせよ、世間の信用が得られて、金がよく儲かるとは言われなかった。

 昔から発達した宗教が一様に廃悪修善を我々の救われる有力な道であると説く。キリスト、仏教、神道教みな然り。文化的宗教はそこに人生の救いがあると説く。これは無理のない人生に対する忠実な道を教えたものである。これらの教えは自分が極めて平穏無事の時の心もちで―自分はこれで人間らしい当たり前の道を行っている―いかにも、おめでたい坊ちゃん気でいる時は落ち着けるが、もし「真によいことをしているか」と反省の前に真に自分をながめては、さすがに落着けない。廃悪修善の教えは人生の深さを、どれだけ見ているか。これは悪いことをやめ、善いことができると仮定した上での教えである。ところが人生の実際は、善いことだけになりきることは人生の最後まで来ない。

 我々は善悪のもつれに生きているのであるから、純粋の善を望めない。廃悪修善の世界は現れないで、最後まで善悪対立に生きねばならぬ。理性的と獣的、一方に地獄、一方に浄土を拝んでいる。しかも、この二つがどこまで行っても分立している。ちょっと考えると、道徳が深められるということは、悪がなくなって善の一方になることであるように思われる。ところが実際はむしろ善悪の対立が、はっきりとなることである。こういう生活は決して悪人になることではない。悪の意識が深められることである。善をしたいということは悪を反省することである。廃悪修善は実際には人生に来ない約束である。

 道徳は人生における大事なものの一つであるが、悪になるが故に裁かれ、善なるが故に救われるという世界には我々は生きることはできない。善悪を超えて受けとる力、即ち親子の間の愛の立場、この絶対的統一の上に初めて救われる者である。真の宗教は善悪摂取である。この善悪を超えて統一するあたたかい世界を親鸞聖人は見出されたのである。

  如来のお慈悲を道徳という一つの綱でつないでいる限り、懐かしいものを見失って来た。真の宗教は道徳では救われきれない者が救われる世界である。悪いことをやめて善いことになりきれない自分に突き当たって、新しいお慈悲の世界を発見したのが親鸞聖人の宗教である。悪人を裁くという世界よりも、悪を本当に悲しみ、悪人をこそ愛して育てて行くということこそ大事なことであり尊いことである。但し、この宗教が道徳を超越したということが、悪いことをしてもよいという反道徳的の教えであると思うことは大なる誤解であり邪見である。

 びくびくしていては駄目なので、真にお慈悲に馴れるまでに親しまねばならず、馴れると兎に角お慈悲をふみにじることになる。道徳を超越することは道徳的価値を否定するのではない。宗教は道徳的感情を魔酔さすものではない。道徳を超えた宗教は道徳を受け入れながら、もっと深く超えて深められる。宗教的信者の胸にこそ、真の道徳的深い悩みがある。ただ、この悩みをお慈悲にはぐくまれるところに救いがある。つまり宗教に入れば、いよいよ道徳的意識がはっきりしてくるのである。

 道徳を超えたものが、やがて新しい道徳の基礎になる。善人になりきれない私が、そのままのお救いのお慈悲を見出したところに、悪いことを平気でやれない尊い心を与えられ、自ずから頭を下げさせて頂く。転悪成善の益を得るのである。悔い改められぬ私が、そのまんま救われるところに、真に悔い改めなければならぬ真の生活が生まれてくる。この宗教まで来てこそ真の道徳に入ることができるのである。

 宗教と生活

 我々の宗教生活は凡夫の心を捨てて如来の心一つになることではない。これは浄土に入って知る世界である。この人生では最後まで煩悩悪業の本能的存在である。この不完全な煩悩悪業の真ん中に如来の慈悲の完全を頂くのである。煩悩悪業をとりのけるのでなしに、煩悩悪業のそのまんま、ひっくり返って喜びにかわる世界、田の中の草をとってそのまま田の肥やしにする。この転悪成善こそ大乗仏教の根本精神である。

 宗教生活の味わいは考える心、感ずる心だけでない、全生命をもって全生命をうけとるところにある。故に信仰が生活の原理になる。不完全な私の生命が最も高いものと交わっていく。そこに喜びと悩みとがある。

 私はいつも、懐かしい心、素直な心で念仏して「本当にありがたいことであると喜んでおります」、という人よりも、私は喜ばねばならぬ深いお慈悲を喜べぬ浅ましい者でありますと涙を流す人こそ、如来に近い生活者である。愛しているという意識を持った人よりも、愛せられませぬと泣く人にこそ真の愛の心はある。光の内にのみ味があるのではない。闇の中に光を見る人こそ尊い。闇の中に泣く人こそ光を真に見る人である。あやまる心の涙の中こそ、尊い生命は生まれる。この掘り下げて行くところが如来の用き(はたらき)であり、この転悪成善こそ仏凡一体の妙境である。

 宗教は如来と一緒に日暮しすることである。そこには今まで知らぬ、深い喜びと深い悩みがある。これが私の生活をますます深めて頂く所以(ゆえん)である。

 宗教と生活というよりも、生活が最も純粋に高められたものが宗教である。今後我々は地上に浄土をつくり出すというような高上りの心は持たないが、しかし力一杯如来に仕えるということによって、少なくとも今日よりもより良い生活をさせて頂きたい。凡夫だから何事も浄土へ行ってからということによって、決して怠けてはならぬ。

(了)

真宗学十回講座(第9講)①-梅原眞隆- 

【淨寶 1927(昭和2)年2月1日発行分】

「第9講 浄土真宗の実践的観察」①

1、人間の知識と我々の信仰とが、どんな関係をもつか。(知識と信仰)

2、悪いことをやめて、よいことをせよという道徳的生活と、善人も悪人も助かる、もっときりつめていえば、悪人こそ救いの目当てであるという宗教とが、どういう関係を持つか。(宗教と道徳)

3、こんな信仰ともつ生活は、どんな形で行われていくか。(宗教と生活)

□知識と信仰

 私たち人間は考える者であるということは、一面から感謝せずにおれない尊いことである。キリストの神話には智慧の果実を喰うたことから、楽しい園を追われたとある。また中国には、文字を知ることは悩みのもとであるとある。成程、これには一面の理がある。知識に目覚めないで夢を見ている世界は楽しいであろう。そこに考える知識を与えられたことによって、やがて悩みを感ずるようになる。しかし、目を開いたことによって泣かねばならぬという事は、くやしくない。それはある意味において、人生を高めたことである。

 よく考えてみると、知識が我々の生活を、どれだけ豊かにして、どれだけ高めたか。我々はこの知識に対して、大いに感謝し、尊敬しなければならぬ。だが知識で計るよりも人生はもっと深い。そこには知識でくみつくせない深みがあることを味わわねばならぬ。ここで知識が謙譲にならねばならぬ。思惟―考えは大切であるが、これが人生のすべてであると考えてはならない。決して知識に値打ちがないというのではない。普通の理性論理で知る明るさだけでなしに、もっと思考の論理を超えて人生をくまなく知りたい。

 仏教では知に解知(げち)、行知、信知の三を説く。一の解知は分析する論理的、科学的知識。たとえば水とは何か。それは水素と酸素が化合したものである。これは何色か。赤と青でできている、という風に生きたものを概念の中へ分けている。

 憎み合うことに苦しみ、愛し合うところになつかしい世界を経験して、人に説教したとする。これは即ち解知である。一人の子の前に母親が涙を流した。これはただ愛することを考え、ながめることではない。愛を実行したのである。愛せずにおれず、そのものにぶつかって、ものそのものと一致した世界である。これは思考論理を通さず行為によって、ものの深さを知る。行為は完全な知識である。愛も理屈も考えただけでは解らない。実行は考えた世界よりも、より深い。解知は広いが直観は狭い。我々は広い全体が解って、しかも生命それ自体にふれたいものである。

 我々の生命の内部からぶつかかる。生命の内部直観。それは信知である。信ずることによってはじめて生命の深さがよくわかる。たとえば八万の法蔵を知る解知の人も、もし生命の後生を知らなかったらなら、それは聡明な愚者である。たとえ一文も知らぬ者であっても、もし後生の生命を知るならば、それは無学の智者である。普通の知識よりも深く総合的であって、生命のどん底から目をさます世界が信知の世界である。真の信念は、知識が邪魔にならず、またそれにとらわれないものでなければならぬ。知識が邪魔になって、それをなくせねば信ぜられない信仰は人生のものにはならない。しかし、知識にとらわれて、知識がなければ信ぜられないという信も不完全でだめである。真の信仰は知識を超えて、知識以上の智慧による生命の目覚めの世界である。

この知識を超えた世界は、すべての宗教に大なり小なりこれを見つけた。これを完全に見出したものが親鸞聖人の愚禿(ぐとく)意識である。人間の学問や修行でつかんだ知では、本当の世界、如来の世界は解らない。愚禿の意識をはっきり見つめられた聖人は、そのまま如来の魂に目覚めた方である。電気やロウソクの暗さは、太陽の光を見たものにこそ知ることができるのである。

そんな信念はどうしたらできるか。前二の解知、行知は人間の計らいでできる。即ち小学より中学より大学と進む。幼稚な自然生活より順次に高尚な道徳生活へと積み重ねて行くのである。ところが、次の信知は学問、修行ではできない。これは如来より回向せられるものであるから、すなおな心に与えられる。即ち愚者になりて信ずるのである。愚者になることが如来の恵みに逢っていることである。

 如来に生きる実際の道は、考え行うことによらないで、この愚かさを反省する謙譲な、拝んでいく世界であり、受け取る世界である。この驕慢(きょうまん)な私に尊い反省をさせて頂くのは、まったく背後の大きな智慧の光によるのである。しかし、それなら全ては如来から与えられるのだと言って、ただ如来を向こうに見て、棚から牡丹餅を持っていてはならぬのである。我々は全てに対して、愛すること。理屈を言わないで、だまって働くこと。拝むこと。この三つが揃わねば完全でない。ところが、これは中々容易ではない。我々は、ここに宗教的に深められた信知によって合掌しながら、亡びざる浄土へ一歩一歩進ませて頂くのである。

 ある奥様に一人の可愛い娘さんがいた。学校教育はもちろん、すべての躾け行儀などに大変注意深く、女学校も卒業した。これで一通りの術も教育したつもりであったが、しかも大変大切なものを忘れていたことに気がついた。それは、大事な魂を育てることを忘れていた。外形の衣食の生きる材料は与えていたが、本質的生命を与えていなかった。衣食の材料も大事であるが、生きた生命そのものを与えないで何になるか。そこに気付いて、それからは共に如来さまのお慈悲を聞くようになった。そして如来より与えられたものを受け取り、生かされている存在をはっきり認め、尊い生命を得ることができた。普通はとかく、魂の尊さをしらない。信知こそは生活の全体を動かして行くものであることを知らないで行くのである。

 信仰と言えば、とかく大事な自分を、信心の概念の中に入れたり出したりして苦しんでいる。つまり、信仰の概念によって如来を見失うことになる。

 小倉で、ある医学博士夫妻が共に熱心に手を合わせて聴聞していた。夫婦ともに如来の前へ合掌しているということは実に尊いことであり、感謝すべきことである。ところが真面目な奥さんはとかく信仰を得たと思えば、またくずれると言って訴えられたから、「あなたは信仰の概念はよく解っている。むしろ今まで覚えたもののために苦労してきたのである。信心じゃ、念仏じゃ、一念じゃ、多念じゃと、そんな難しい言葉には蓋をして、ともかくも如来さまに親しみを持ち、仲良しになり、仏さまと打ち解けて、かしずきなさい。」と、言ったら、「共に如来さまに親しみを持ちなさい。」と言うたことではっきり解りましたと大変喜んだ。とかく信心の概念の中に入って身動きならぬようになる。信心とは、寄りかかり、よりたのむ心である。如来の魂と私の魂と一つになった世界が信仰である。

(②「宗教と道徳」へ続く)

真宗学十回講座(第1講)-梅原眞隆- 

【淨寶第7号 1926(大正15)年7月30日発行分】

 浄土真宗という宗教は如何なる輪郭をもっているか、親鸞聖人の宗教は仏教で如何なる立場にあるのかという事を最初に考えてみたいと思う。

 先ず、日本の国で「念仏で救われる」という事を鎌倉時代に法然聖人が叫ばれた時、あちこちから非常な迫害が起こった。その主なる人は笠置(かさぎ)の解脱上人(げだつしょうにん)。もう一人は高尾の明恵上人(みょうえしょうにん)でありました。この人達は常に宮廷に出入りしていた権威のある方々であったが、解脱上人は興福寺の奏状という弾劾文に九ヶ条をあげて念仏宗を迫害した。これが原因となって法然聖人も親鸞聖人も遠国に追放されたのであります。その弾劾文の一ヶ条に「教主釈尊を軽んずるのあやまり」というのがある。なるほど、真宗の御堂には釈尊を奉じていない、ちょっと考えてみると変である。そこで法然は仏教徒という仮面を冠っているが、その実は真の仏教を奉ずるものでないと専修念仏を弾劾したのである。今頃でも、どうかすると「真宗では、なぜお釈迦さまをご安置しないのか」と尋ねる人がある。そこで、真宗という宗教は一体どんな宗教であるかを考える必要がある。

 真宗は無論、親鸞聖人によって開かれたのであるから、聖人を御開山(ごかいさん)という。しかし、それは真宗が単に聖人のふところから、転げ出たというのではない。真理は無限である。この真理は客観性と普遍性とをもっている。だから親鸞聖人の宗教の本質は、源をどこに発しているか。たとえば花が咲いたといえば、一面には種子がなくてはならぬ如く、浄土真宗の源はどこにあるか。即ち教法の源流は如何(いかん)。これはかなり難しい問題でありますが、人間の世界において開かれたのは何時がはじめであるか。祖聖(そせい-親鸞聖人のこと)は明らかに「真実の教を顕さば大無量寿経これなり」といわれてある。この経は言うまでもなく釈尊が説かれたものであります。法然聖人は一切経の中から特に観無量寿経を選んだ。祖聖は沢山の教の中から特に大無量寿経を選んで真実の教とせられた。これは一体何の意味であろうか。祖聖は大無量寿経の本質として、如来の名号と、如来の本願が説かれてあるものとご覧になった。本願とは如来が我々を救わんとする救済意志であり、その如来の救済力の表現が名号である。この如来の本願と名号こそ宗教の最高であり、それを説かれた大無量寿経こそ真実の教として選ばれたのであります。他のすべての経典もみな真理に違いはないが、それは賢くなったら救われる、善いことをしたら助かるという教えである。大経はこれに反して、如来のお慈悲を受けとることが救われる原理になっている。昔からこの経には法の真実が出ているといわれている。即ち紅白粉(べにおしろい)を洗い落とした如来さまのお心がはっきりとでている。つまり、真理の全体を出してある。世間でも親の小言とか、親友の忠告などは、中々快く受けないものである。これは教えを説くものの苦しいことの一つであって、真実をそのまま受け入れることができたら、如来さまに苦しみはないのである。嘘やごまかしによって生活をしている人間に真実を説くことは中々の難事である。そこで方便が必要となってくるのである。世間に嘘も方便というが、これはあながち悪い意味ではない。嘘を言っても真実を徹底させようとすることが真実である。この意味において八万四千の方便教を説かれたのが釈尊一代の経である。

 今、大無量寿経は方便の白粉(おしろい)を落とした真実の経であるとみたのが祖聖である。大経を開いてみると、この経の会座(えざ)である霊鷲山(りょうじゅせん)に集まった聴衆1万2千の聖者(しょうじゃ)のすがたを顕すに、まったく釈尊自身の八相をもって説いてある。而して説法せられる釈尊自身は、聖道諸説の常の規格をはなれて、真実に生き、全く弥陀と二而不二(ににふに)の二つにして一つの境に住されたのであります。阿難が「今日の如く輝いた世尊のおすがたを拝したことは未だかつてございません」と驚いたのは無理はない。これが即ち五徳瑞現(ごとくずいげん)の姿で弥陀と同一の境に入られたのである。この全体の模様は釈尊それ自身、大地にすべりおりて、聴衆の一人になっておられる姿であります。

 宗教は真理それ自身の声をきくのである。単に理屈ではない。真理は常に自ら語るそれでないと真理は説けぬ。ゆえに語る者は聞くものでなくてはならぬ。かくしてこそ真理を表現し得るのである。

 また、大経の上巻には欲生我国(よくしょうがこく)といい、下巻には願生彼国(がんしょうひこく)とある。これをよく注意してみるに、大経は釈尊が主人公であるから、自分のことを我といい、弥陀のことを彼といわねばならぬはずである。然るに、それが逆に弥陀の因位の法蔵菩薩を我といい、彼の国に行けというのが釈尊の言葉になっている。即ち、説くものが弥陀であり、聞くものが釈迦になっている。釈尊自ら説きながら、大地にひざまずいて聞いているのである。大無量寿経は釈尊の主観を通した道理ではなくて、釈尊が頭をさげて受け取った真理が表現されてある。つまり、釋尊のままが阿弥陀さまとなっている。これを、融本(ゆうほん)の釈迦といわれている。

 もう一つは、この大無量寿経は、釈尊が「特留此経」(どくるしきょう)といって、この経を弥勒(みろく)に付属している。即ちすべての経が亡んでもこの経だけは亡びないという念願をこめている。この大経は永劫(ようごう)に亡びない真理がこもっているからであります。釈尊入滅(にゅうめつ)して二千年の後に現れたのが親鸞聖人であるが、それまでは哲学的に、或いは芸術的に、もてあそぶ人はあったが、真実に大無量寿経を求めた人はいなかった。親鸞聖人は謙譲(けんじょう)な人間の名によって釈尊のままを受け取ったのである。そこで釈尊の魂を見抜いた人は親鸞聖人である。この意味において釈尊をまつらないのは人間の固定した釈尊よりも、釈尊の魂、即ち弥陀をまつった方が、むしろ釈尊を永遠にまつる所以(ゆえん)である。釈尊は二千年前の応身仏(おうしんぶつ)であるが、南無阿弥陀仏の名によって、釈尊の生きた魂を安置しているのであります。

 次に名号を称えるということは如何なる意味であろうか。もう一つさかのぼって阿弥陀さまは人格的である。これは私の生命と交渉している人なら有難いが、全体仏さまとはどんなものであろうか。また、どこにおられるかということが問題である。もし、それは美しい天人のような姿をしたものであるとか、中には壁に写った仏さまを見たという人があるが、それは、本当の仏さまではない。親鸞聖人にお尋ねすると仏さまというは名号だと言われてある。今、本堂にまつってあるのは南無阿弥陀仏の意味を表現したのであって、つまり浄土真宗というはお名号の外ないのである。

 然らば、名号とは如何なるものであるかというに、勿論、南無阿弥陀仏であるが、これは人間の世界における認識の限度であって、人間の知識は何も分からない盲目的なものであるから、名号によって明らかにせられたのである。故に、私の分かる如来さまは、南無阿弥陀仏だけであります。然らば、如何にして名号と転化して、人間に接触してきたのであるかというに、その過程が大体三つに分かれる。絶対の一如より如来と顕れ、更に名号と表現してきたのであります。一如とは如来さまのお悟りであって、さながらという意味である。また一つは、絶対であって、因果を超越し、有無を超越し、迷悟(めいご)を超越した、真空の世界である。花を見て「奇麗だなあ」とうっとりとした時は花もなく、私というものもない。また、美しいという観念もない。この二相の世界を超えた境地が一如である。つまり迷悟有無を超えた世界を一如と名づけているのであります。梁(りょう)の武帝が達磨(だるま)に第一相をたずねた時、達磨は不空と答えた。へんてこな答えのようであるが、これが一番よい答えである。人間の頭に罐詰したような仏を見出すのでない。仏を見出す時は、一如法界身心顕とお浄土で顕れて下さるのである。一如の世界は私共は憧れてはいるが直ちにその世界へ飛び込むことができぬ。キリスト教の神秘派が欲望と言語と思惟とを沈黙したところに、神と一つになる世界があるといっている。白隠禅師(はくいんぜんじ)が女郎の誠と玉子の四角といっているが、これは人間の理屈を破産せよという事である。二つの世界を破産し、超越したところに、一の世界がある。だが、直ちに一の世界に飛び込めるなら、法蔵も阿弥陀仏もいらなかったのである。飛び込んだのと飛び込んだつもりなのとは大に異なっている。親鸞聖人はこれを知った人である。パスカルという人は「人間は考える葦である」と言った。人間というものは、理性と本能との合したものであると私は思う。我々から結婚とか、食事とかを絶対に離すことはできぬ。もし離せば人間でない。ある人が言った、「今日の若い医者は病気を治すことはうまいが、しかし、病気の治った時、人間は死んでいる」と。宗教家の中にも確かに、こんな人がある。救われるということの理屈は三角でも四角でもよい。ただこの私が救われたいのである。人間は人間のなりで救われていかなければならなぬ。親鸞聖人はそれを見出した人である。西洋に、ある青年が真理を見出したいと願っていたが、ある夜のこと、静かにベールをまとった一つの像を見出した。月は銀のように澄みわたっている。どこからともなく、静かな囁きを聞いた。「お前が憧れている真理はこれであるぞ。しかし決して、このベールをはぐる事はならん」という。それだのに青年は真理の裸体を見ようと思って、そのベールをはぐった。と同時にその青年は死んでしまった。真理は神秘の世界である。ベールをまとった世界である。直ちに一如の世界へ飛び込むことは出来ぬ。闇の存在するところに、そのままでは明かりはたえられない。明かりの存在するところに闇はたえられない。親鸞聖人は「如」が私に来るといわれた。相対から絶対へは行けぬ。絶対から相対に来たのが如来である。つまり、真理が我々の世界へ揺るぎ出て来たのが如来である。一の世界が二の世界へ表現して来た時、考えられぬ世界が考えられる因果の世界となって来たのである。即ち私を救わんとするものが如来である。

 私の背後に私を呼ぶものが法蔵であり、理想の彼岸に我を召し給うものが阿弥陀仏である。

 限定された世界に我を生かそうとするものは、見仏の宗教である。観仏三昧経等に大念に大仏を見るとあるが如く、直ちに仏を見んとするのである。親鸞聖人はこれもわからぬと言われた。純粋理性の聖者なら見出すこともできるだろうが、私共は理性と本能に引きずられて金を求め食を求めている凡夫である。金が欲しいような世界には到底仏を見出すことは出来ない。そこで直ちには如来の世界は分からないから、分かるように表現して来たのが南無阿弥陀仏である。ところが名号といっても、一如や如来をお浄土に忘れて来たのではない。水のままが波となっている様なものである。賢いものも愚かなものも、名号によって初めて受け入れられるのである。

 勅修御伝(ちょくしゅごでん)の中にあるが、高野の明遍僧都(みょうへんそうず)が名号を称うるのみにて救われるということはないと、常に法然聖人を罵っていたところ、ある夜、夢の中に、沢山の病人がいたところへ、一人の聖者が鉄鉢に粥をいれて、堅いものや果物などは食べられないであろうと、この温かい粥をを与えた。明遍があのなつかしい聖者は誰かと尋ねたら、あれは法然聖人であるとのことであった。法然聖人は南無阿弥陀仏を称えるだけで助かると言った。我々は堅いものは、歯節に合わないから粥を与えて下さったのである。一如は人間の認識する世界ではない。南無阿弥陀仏の名によって、表現して、初めて受けいれることができる、これが名号であります。

 名号の言葉ぐらいが何か、というが、決してそうではない。子供が「お母ちゃん」と呼ぶ。そこには本当の母と子が一つになっている。この「かあちゃん」と呼ぶ言葉の中に、二つの魂が一つになっている。この一つの言葉が親の写真を見るよりも、もっとなつかしい供養である。親鸞聖人が手を合わせて南無阿弥陀仏と称えられたところに、「我よく汝を護らん」と呼びかけて下さる如来の声を受けいれられたのであります。我よく汝を救うという呼び声の中に、一如法界の全体が飛び込んで来るのである。それ故、十字架のキリストや菩提樹下の釈尊の如きなら、確かな存在のように思う。しかし、あれは既に過去のものに過ぎない。今、万人の前に実現して来るのは名号より外にないのである。大無量寿経は我よく汝を救うという。なつかしい久遠の声を静かに釈迦が受けいれられたのである。教行信証の中に、沢山の経を引いていられるが、全ての経は、私の魂をよびさましている声だと、親鸞聖人が言われた。聖人は、南無阿弥陀仏の上に救いを求められたのであります。私は浄土真宗は哲学的よりも、芸術的にもっと微妙(みみょう)な声をききたいものと思う。親鸞聖人は、南無阿弥陀仏と称えているところに自分を呼んで下さる如来の声をきかれたのである。ここにおいて、大無量寿経を霊鷲山に説く時、如来さまの前にひざまずいて聞いていた釈尊と、法然聖人のもとにひざまずいて聞いた親鸞聖人とは、よく似通った点があると思う。私たちも静かに如来さまの前に合掌して、如来の声をきかせて頂きましょう。

(第2講から第8講まで紛失。次回は第9講)