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大無量寿経について(11)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(11)ー臼杵祖山ー

 

左様な点に於いては親鸞聖人は、装うた賢善者でもなく、また飾った愚痴人でもない、畢竟なった愚禿でなくして本来自性愚痴のそのままを信嘗されたのであることが最も尊い味のあることである。これについて私は思い合わさざるを得ないことは、今この大無量寿経に説いてある世自在王仏と法蔵比丘との師弟の物語が非常に尊いことと思います。この法蔵比丘は色々な見方によって味わい方が様々に変わるように思われますが、それらのことは別として法蔵比丘は自分が求める道の上に非常に忠実であられた。言い換えれば道の外に何ものもなかった。道がそれ自身であられたのであると思われます。これについて先ず経文を味わうに、法蔵比丘が世自在王仏の前に於いて自己の心中を色々に陳べられたその中の一節に、

「普くこの願を行じて、一切の恐懼、為めに大安を作さん。たとひ仏ましまして、百千億万、無量の大聖、数恒沙の如くならん。一切これらの諸仏を供養せんより、しかじ道を求めて、堅正にしてしりぞかざらんには」

とあるに見ても、無量の諸仏を供養する道、それも尊いであろうが、しかし法蔵の私一人にとっての一番大切な道は、私一人の道を一心不乱に正しく求めて進むより外には何物もありません、またあってはなりません。法蔵比丘にとっては求道はこれ即ち生命であり自己である。それは法蔵が道を求めるのでなくして、道を求めることが即ち法蔵ということである。私達の習わせは、とかく私があって道を求めると考えるから、いつも道と私が別々に離れてしまうのである。そこで私自身が道を離れた生命なき髑髏に等しく、またいわゆる道そのものも人に離れた空閑なる荒原に同じものと成り果てるのである。法蔵比丘はそんな方ではない。それは道を求めることが即ち法蔵と名のついたわけである。全体法ということは、一事一物に限られた意味のものでなく、一切万法を摂めたものである。仏法では法の一字で一切を顕わす。そこでこの法は一人個人の持ち切りで他に通じないのでなく、また他の限って自分に通ぜぬというものでもない。一切法性、万法などなど、法の一字におさめる、即ち法蔵とは、一切諸法をおさめ、法を離れず、法そのままが比丘の名に顕れたものである。元来人を離れて法もなく、法を離れて人はない。道といい、人といい、また機といい、法といい、一体である。私達の考えは人があって道を行うということになるから、いつも隔てが出来るわけでありますから、畢竟、人もそのものが道でなければならぬ。

「如かじ道を求めてしりぞかざらんには」

と道が生命であられたものが法蔵である。そこで本願は決して客観的に離れたものでなく、いつも私となっている。

「たとひ身は諸々の苦毒の中におくとも、我が行は精進にして忍んで終に悔いず」

我自身が道である。ところが私達はせっかく聞いても、とかく自分そのものになっていない。ただ耳朶に触れるだけである。道を求めることが自分になっていないことが大なる誤りである。

「我をして世において速やかに正覚を成じ、諸々の生死勤苦の本を抜かしめたまへ」

と即ちこの私をどうしましょうか、ということである。それはただ法蔵比丘ばかりではない。いやしくも道を求めるほどの人は常にこの精神である。またあらねばならぬことであります。

孔子が、「これをいかんせん、せんと謂わざるものは吾之をいかんともすること能わず」と我が身中に取入れてないものには、何事であってもどうすることもできないのである。この意味が徹底すれば、この法蔵一人の正覚がきっと成覚して、一切の人に及ぶことは必然である。それはただあの人を救う、この人を救うということでは、却って誰一人救うこともできぬ。太陽は万物を照らし育てようなどといえる考えはない。ただ無心に照らし育てている。彼が無心であればあるほど万物はこれに感謝する。無心に照らし何らほこりがましいことがないから、万物無心に謝して何らそむくことをしないのである。心なしといわれる草木なども、太陽へ太陽へと向かい伸びている。そのありたけが太陽に感謝している相である。しかるに若し太陽が自ら、オレが照らし育ててやるというたならば、却って反抗心を起こし反逆心を起こすであろうに、彼にその事なきがために、これにも従ってその事なく彼此一体になり、天地同根万物一体ともいわるる意味が、彼此の間に顕現するのであります。法蔵比丘が我一人が速やかに正覚を成就し、諸々の生死勤苦をのがれしめたまえと、自己中心の希望と苦痛を訴え述べられた、その時に世自在王仏は、

「修行するところのごとき荘厳仏土、汝自らまさに知るべし」

 自分の求めることは自分が知るべき事で、それは外の誰もどうすることもできぬものだと、非常な峻烈なる態度であられたが、これが最も尊い深遠なお慈悲の表現であることを道味されるのである。それに対して法蔵比丘は、

「この義弘深にして我が境界にあらず」

といわれたのである。善導大師や親鸞聖人などの聞くべきことを聞き得ず、信ずべきことを自分にて信じ得ずというその信嘗は、全く今の法蔵の「この義弘深にして我が境界にあらず」との、この淵源から流れているのであることを道味されます。一体に仏法はその根底は自覚である故に、信仰というも自覚であると言われますが、それはなるほど一面には自覚と言える辺はあるが、しかしながら左様に一面観丈を以て仏法全体を味得するわけにはいかない。何故なれば仏法のいわゆる自覚は、自覚とは言いながらも自覚というような凝結をもっていないのである。

「汝自當知」

とお前のことはお前が知れ、お前はお前自身に目覚めなければならぬと言われたるに対して、「それなら目覚めましょう」と言うたかどうか。否、決して左様でない。私は私自分に目覚めようとしてもその力を有しないのであります。たとえば他人の顔は百千万人でも見得られるかも知れませんが、自分自身の目は一生を通じて、否、永遠に見ることのできない悲哀を抱いている自分であります。聞くべき何事をも聞き得ない、信ずべき何事をも信じ得ない、結局自分自身に目覚める力を持たない、愚痴暗鈍にして、これをどうしよう、どうしようと胸をつんざいて苦悶懊悩された方である。普通に私達がなるほどそうですかというような塩梅の目覚め加減とは全く様子が違うものであります。これについて古来、自覚・覚他・覚行窮満を仏陀の三徳と申します。まず自覚せねばならぬ。そうしてそれが自分だけにとどまらず、他をも覚醒せしめねばならぬとする。それは即ち菩薩四大行は自利利他であるというにあるのである。ところがここに私達が最も道破すべきことは覚行窮満であります。この窮満とは自覚して、自覚を徹底し、覚他を脱退して、その全ての相対的差別観念を超越したる霊妙の不思議の境域である。

ー(12)へ続くー

大無量寿経について(10)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(10)ー臼杵祖山ー

 

思うに釈尊一代の法門は、実を言えば総てこのせしめたまえりの境地であった。親鸞聖人は如何なる経文を読まれても、いつも信仰徹底の体験者であり、体読者であって、決して文字言句に囚われない自由心読者であられました。これを一文を挙げて申しますれば、善導大師の不得現外賢善精進之相内懐虚仮の文につきて、他の多くのお方は、

「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を抱くことを得ざれ」と。

これは内心と外相と一致せねばならぬという、即ち知行合一的の道徳としての文字である。然るに親鸞聖人は、

「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」

これは親鸞聖人の自照の世界に立って見る時に、自分は一体賢善精進の相を現ずるという資格があるか、全く無有出離之縁の内心虚仮に充たされているものではないか。それは全く無漏慧命の尽き果てたものである。

たとえば、一身上の一部にどこかに病氣があるという程度でなく、全身が不治の病氣にかかっているというか、若しくは全く脈があがって死人同様である。それに白骨が舞踏するようなことを言う。即ち聞けよ信ぜよと、それを聞きましょう、信じましょうとに受け入れるような、空虚なことがどうしてできようか、できる理由がない。そこで自分は全く聞き且つ信ずることの全然出来ないもの、ただ至心に廻向せしめたまえる本願に救われるより外ないという痛烈な信仰の味わいから総てを見られたのである。かくのごとく体読上より来たる見方は、本典正宗分最後に引用された論語先進第十一編の文においても、

季路問事鬼神子曰不能事人焉能事鬼

この文についても一般では、

人につかうること能わず、いづくんぞ能く鬼につかうらん

と読んでいるのである。しかるに親鸞聖人は、

つかうること能わず人、いづくんぞ鬼につかうらん

と体読されてある。これについては六要鈔にも解釈がありますが、それは私は取らない、私の意を以て思うに一体私達は事るという総てのことから離れているという意味である。全く自分の総ての行為を否定せられたのであります。それほど自分自身に徹底されるのである。そこで聞名信喜という教えの下に、聞きました信じましたと思う分際は、恐らくは虚妄の転倒想にすぎないのであるとの見地である。単なる理想にあらざれば誤れる妄見であります。版木に彫り込まれた字を本として摺り出された字とが、同じ向きになっていたならば、それは全くウソである。聞け信ぜよという教えに対して、聞き得ざる我、信じ得ざる我を自照された時、ここに初めて真実の聞信の境地に達したのである。単なる空虚なる理想、誇張せる妄想は駄目である。私達はもっともっと自照し凝視せねばならぬ。版木の左文字が左文字のままに写るというようなことにならずに、右文字の正確に写っていることを道味とすべきことであります。しかし、これが斯様でなければならぬと決して強いるのではありません。それは私が私自身の信嘗道味であります。それなら他の多くに人々がみなこのように是非ならねばならぬとは言われないのであります。ただ私一人の上にとってのことであります。だから私は斯様であるから良いとも、斯様でないから悪いとも言うのではありません。ただ私一人の愛楽仏法法味禅三昧為食のままを述べるまでであります。

ここに更に至心に廻向せしめたまえる御心を味わうて見たいと思います。昔から君子は容貌愚なるが如しと、又大賢は愚なるが如しと言いますが、全くその通りであります。真実に愚に徹底された方は最も尊重なる人であると思います。これに就いてつくづく思わされますことは、私と言うものの真実が全くの空っぽになられない。何かの飾りを付けなければ承知の出来ないという憐れっぽい心根であり、始終何か一つくらいは、せめて修飾せねば肩背が狭まるように感ぜられ、また何物か一つ握り込まねば沈むような恐れを抱くのが、これが凡夫とでも名付けらるる一面の表示であろう。が、これを思い切って飾りを取り捨てて、赤裸裸となり、露堂々となり、また沈むべきものが徹底的に沈む。そこに初めて飾りのない自分のありのままのくつろぎがあり、また落ち着くところに落ち着くという安定が見出されて、そこに初めて道が開けるのであります。が、どうも私達は何事も不徹底であり、不真面目であります。そこで従って、安定もなく堂々なる気持ちもなく、どこどこまでもグズグズとして、それがしかも賢さを装いたる愚人の態度であります。外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を抱くという、似而非的までにも及ばない似もつかぬ憐れな心象相状であります。

ー(11)へ続くー

大無量寿経について(9)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(9)ー臼杵祖山ー

 

之について大無量寿経と観無量寿経を照らし合わせてみますと、大経は弥勒菩薩の完全を人格者、即ち聖者が、主観的に自己を凝視したときに、全く自分は展転五道有為勤苦の腕然たる凡夫であると見られた時に、初めて凡夫往生の本願が顕甞されたのである。それは他からお前は悪人凡夫だから聞かねばならぬ、信ぜねばならぬと気を付けられたことによって、ああ左様かと自分を外在的対象的に見照したのでは駄目である。そこに至れば弥勒菩薩も善導大師も、全く落第者であり、無失格であって、何物をも持たない虚仮不実の空洞であります。その空っぽであるが為に、如来他力の信ぜしめ賜う本願のままに引導される幸福を得られたのである。私達の真宗では、よく仏を客観的実在とし、他宗では主観的内在として見るものが多いように聞きますが、一体かくの如く粲然と判別が出来るものでありましょうか。ということが一つ。また言うて居らるる左様なことが真宗としての本義でありましょうかということが一つ。元来私達は一つの名言を聞きますと、すぐそれに束縛されるというか、纏綿するというか、彼方からというか此方からというか、へばりつく習癖があります。いわゆる有相執着の概念に囚われるとでも申しますか、主観といい客観といい、供に一種概念表示の言詮であります。事実的にしかし、孤立せる主観というものが又客観というものが存在し得らるるものでありましょうか。一体私達というものは、その時代時代の表現語を事大思想的に誇張して、そうして自己の意志を発表することを快事とするようなことに囚われているものではないかと思われます。左様な見地に立て見照しますときに、主観客観とか内在外容とか言えることは、意義をなさないことであって、畢竟遊戯化された概念の幽霊である。徒らに遊戯化された概念の主観客観などは、自照凝視の見地に立てば生命なき偶言であり、偶像であります。私達は更に思わされますことがある。いわゆる概念表示の言詮を仮借して言いますならば、むしろ他宗こそ徒らに自己の偶言的主観の上に眺めるのであるが、その実一種の妄想に陥っている。それは単に理証門においては頗る主観の力用偉大なるを感知せしめらるるようであるが、それだけでは実際に円満成就し得られずして、行証門の一科を開き、一念頓悟を皇張しながら、事実においては万劫漸得の悲哀を感ぜざるを得ないのであります。ここにおいてか親鸞聖人の信甞された自照の内容は客観的に見える天上の月を親しく近く自己の痕下の影法師において主観的に見るという底の心象である。その幽冥暗澹影法師、わゆる智目行足かげたる凡夫願体戒手のかなわぬ衆生と言える最も哀れむべき自分の上にこそ、至心廻向せしめたまえる機法一体仏凡不二主客超越の信仰を獲得せしめられるのである。

一般に真宗と言う範囲内においては、内容的には別として諸善万行を修して、至心発願欲生するとか、又は一行念仏を行して至心廻向欲生するとか言えるような荒い自力はあるまいが、仔細に検尋すればそれらの自力執着よりも、更に更に微細綿密、特に精錬された至極念入りの、即ち聞かねばならぬ信ぜねばならぬという、言詮に引きまわされて謬られた、聞其名号信心歓喜という自力執着の根が蔓延っている。しかるにこのいわゆる他力の聞信の名言に執着せる児r期の聞信者は、常に諸善万行なり、善本徳本の名号称念の行などは中々難いのであるが、ただ独り聞くだけであり、信ずるだけであるから容易であると思われるが、それは大変な間違いであると考えられるのである。一般のことが皆左様である。例せば、親に対しても、その他の誰人に向かっても、身の振る舞いや口のあやなしは何とか取り繕われるが、心の思い遣りは中々容易ではない。蓮如上人が、

「くちと身のはたらきは似するものなり。心ねがよくなりがたきものなり。涯分心の方を嗜み申すべきことなり。」

と仰せられたるは、最も尊いことであります。私達の習わせとして、口では「全くあなたの言われる通りになりましょう。」と言うているが、心では、「なにお前らの言うようになられるものか。」と中々心の頭はさげない。丁度その通り信仰は易いとあなどる処には決してその信仰の易さがわかるものでない。私達には信仰に対する敬虔の心が出来るものでしょうか。それはただ経典の文句や説教の言葉を覚えただけではないのか。もし左様だとすれば、極言するようではありますが、経巻を喰う虫を見たようなものである。

親鸞聖人は聖道自力の修行にも、修諸功徳にも落第して及び難き身なるを自照せられた時に、初めて開けた世界が。「至心に廻向せしめたまへり」という本願の世界であった。自分で聞き得られ信じ得られる人たちには、この「せしめたまえり」という世界はないのである。

ー(10)へ続くー

大無量寿経について(8)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(8)ー臼杵祖山ー

 

之について思い出すのは、彼の観無量寿経である。同一経文を見ても他師は定善十三観、散善三福九品を以て自己の息慮凝心の聖者、廃悪修善の善人、心を静めて修行して自ら仏に成る道を説かれた経文と見られたのである。これらは全く仏を客観的に見たものである。これに対して善導大師は、経文の教えの文字を拾い、道理を汲むだけでは自分自身に落ち着けない、その文字をその道理を、自己中心のものたらしめ、それを自己の実際生活としてのことである、するとその定散心の理想が高ければ高いほど自分の低く、そうして及第し得ない醜い落第相が見らるるのである。

他師の理想的に進むのと、善導大師の信仰的に進むのとは非常な相違がある。理知的に進むのは、例せば、幼稚園から小学校、小学より中学、大学へと進むに従って、麁より細に入り、浅より深に入るのである。が、これはどこまで行っても極言すぎるかも知れないけれど、結局幻影を追うに過ぎないのである。然るに、信仰の方は、はじめは高遠な理想に従って進むのであるが、しかしそれが先ず定善十三観の息慮凝心に落第し、更に散善三福九品の廃悪修善にも及第せず、定善の聖者の鏡に照らして、はじめて散乱常なき凡夫の哀れさを知り、散善の善人の鏡に映じて、はじめて悪逆止むなき悪人の悲しさを見るのである。口伝鈔に、

「観無量寿経は機の真実なるところをあらわせり。これすなわち実機なり。いわゆる五障の女人韋提をもって対機として、とほく末世の女人悪人にひとしむるなり。」

 との仰せに見るに、単に定散両門の益を説けるのみでなく、それを説いて以て、鑒照の鏡として、自己の真面目を知見するの仏意を体験せねばならぬ。

斯様なる意味に依りて信仰の面目は、深より浅に、精より麁に立ち還り、自照凝視が追々に出来ないようになったのが進歩したのである。理智の方は出来るようになったのが進んだのである。善導大師は、観無量寿経の三心を釈されて、至誠心の真実は阿弥陀如来の真実心の中になしたまえるを用いんことを明かすの意として、自分は全く内懐虚仮貪瞋邪偽奸詐百端悪性やめがたく、こと蛇蝎に同じき雑毒の善であり、虚仮の行であり、不真実の業であると自照され、深心の深信の心につきても、先ず自身は現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没し、常に流転して出離の縁あることなしと信殺してある。廻向発願心は阿弥陀如来の決定真実心中に廻向したまえる願を用ゆるところの得生の想いにして、凡夫として秋毫の私心なしとの意味を道破されてある。この意味においての三心具足であるゆえに、凡夫はただ一心専念に無行不成の願海を仰信せざるを得ない自然の理数である。この仰信された表象は、ただ一名号の外はないのである。これらの意義を総括して、観無量寿経一部全体を結びて、

「上来、定散両門の益を説くといえども、仏の本願の意を望むには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称するにあり」

と明かしてあることを信甞道味すべきである。

ー(9)へ続くー

大無量寿経について(7)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(7)ー臼杵祖山ー

 

自力聖道門の歩みは、自分というものを段々清めて身をただし、行いを正しくして三業の所作を慎んで進み行くという。これは即ち第一歩が自分を善人聖者として踏み出したのである。しからばそれが最後まで、それで行けるかと言えば、実は最後は全くの凡夫足らざるを得なくなるのである。故に最後に廓然大悟に達する時は、これを無学というのである。そうしてそれに達せんとする道程にある間を有学というのである。自力聖道とは普通には自分の力に由りて自分を建設修成して行くことであると思われるが、その実は自分の凝結せる執着を漸時に研磨して、いよいよすりつぶしてしまい、何に一物をも留むべきものなきに達せんとするの道中である。これが自力の真実道である故に、悟りおわれば全く仏々平等である。それは大無量寿経にては師仏として説いてある世自在王如来を、龍樹菩薩はかえってこれを、弥陀の弟子としての意味を表し、

「この諸仏世尊現在十方の清浄世界に皆名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくの如し」

と述べて、弥陀の念仏易行の道に由って無上正遍覚を得られた意味を表してある。元来自力の自とは自分の目をすりつぶすの意味である。自力で進んで進んで至り極まりた境地を無我の他力というのである。そこで自力は結局他力に達するまでの聖道権仮の方便である。これについて親鸞聖人は自分の信仰の道程を述べて、

「凡そ大小聖人・一切善人、本願の嘉号を以て、己が善根とするが故に、信を生ずる能わず、仏智を了せず、彼の因を建立することを了知すること能わず、故に報土に入ることなきなり。ここをもって愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく、万行諸善の仮門を出でて、永く雙樹林下の往生を離れ、善本徳本の真門に廻入して、偏に、難思往生の心を発しき。然るに今、特に、方便の真門を出でて、選択の願海に転入し、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓、良に由あるかな。 ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、つねに不可思議の徳海を称念す。いよいよ斯を喜愛し、特に斯を頂戴するなり。」

と聖道権仮より浄土真実に進み、浄土門中において、三転して選択摂取の第十八願海に入りて難思議往生を遂げらるるとの意趣が信甞され、また二巻鈔(愚禿鈔)には逆転の四位を分けてその意味を表してある。広文類には能入の機位について聖道浄土の順転廻入を明かし、二巻鈔には所入の法位について浄土聖道の逆転進出を示してある。この両書の順逆入出を一聯するに、これを要するに、初め聖道自力門より入て修行し菩提をひらく道に入り、次に浄土門中の第十九願の諸々の功徳を修する行から、次に第二十願の諸々の徳本を植ゆるに進む。その中聖道の三僧祇百劫の修行は論するまでもなく、第十九願は諸善万行を修するにぎやかさではあるが、その内容が未だ充実していない。第二十願は行体は称名一行であるが、第十九願に比較すれば内容が充実して豊富である。ただ、力味のある廻向心は係わるだけが玉に瑕とでも言わるるのである。それは植諸徳本という、即ち「本願の嘉号を以て己が善根となす」という善人気取りで称名一行に依り、至心廻向欲生とお助けを仰望請求するのである。いわゆる正因自力摂生他力といい、又は心存助給口称南無阿弥陀仏という分際である。

これはその表面の当相から見て、また進趣の行位から見て、一面その止むを得ないとしても、ここに私達の注意を払うべき一事がある。それは第十八願純真なる他力の意義を宣説する真宗の内にも、似て非なるものがる。それは或はそれ自身として判然と左様には思っていないかも知れないが、しかしながら、その心持ちは知らず識らず、暗暗裡に、やはり正因自力摂生他力的になっている者が多いようである。それは単に信仰上より言えるばかりでなくして、学問上からでもある。その意味はいくらお慈悲でも、信ずるだけはこちらの力を待たねばならぬ。また、聖道門は自力だと言うても、釈尊の出世もなく、または随ってその説法がなかったならばどうすることもできない。だから自力と言ふても、釈尊という仏宝なり。教法という法宝なり。大衆という僧宝なりの他力を仰がねばならぬ。また他力と言ふても自ら信ずるの力がなければならぬ。そこで自力といい、他力といい絶対純一なものはないのであるから、完全に言い表せば、正因自力摂生他力とでもいわれる意味において、それが究竟するのであると考える者がある。

第十九願の修諸功徳の行者、又第二十願の植諸徳本の行者にしても、第十八願を捨てて見ないのではない。がしかし、夫々の至心発願欲生なり、至心廻向欲生なりの色眼鏡をかけて第十八願を見る時は、第十八願の三信十念が、かの自力執情に映じて、それが全く自力的の三信十念となるのである。親鸞聖人は、「万行仮門を出て」といい、又「特に方便真門を出て」といえるは、完全に自力執情のの色眼鏡を取り捨てて、速やかに「選択の願海に転入す」と第十八願に直面せられて、涅槃真因唯以信心の唯心独奪の真意を味わわれたのである。然るに悲しいかな今日では、兎角に聖人を一つの偶像としてしまったために、したがってその聖人の内在心味までも偶像化して一種概念としての表現に過ぎない、全く生命なき死灰物として取り扱うに至ったことである。懐うに、幾百年間の星霜を経過し、種々な時代の変遷なり影響なり境遇なり、それを後人の各々の自己執着の好餌として、又好奇として、そのさま殆ど敬虔な態度を以て尊崇するが如きかと見れば、或はまた頗る軽忽な振る舞いを以て翻弄するが如きかと思われるまでに、真の生命を失わしめられた一面のみが、最も哀れに立ち燻っているという状態である。

親鸞聖人は一切において全然力なき人であった。それはいわゆる無抵抗主義などといえる、自ら有する力を抑圧して一種の主義にからまるのではない。弾くべき何らの力の少量だも持たない、真実愚禿そのものである。これによって聞其名号信心歓喜とある経文に対して、聞かぬはならぬ信ぜねばならぬという概念化する能力さえもない聖人であった。ここにおいて初めて聖人の第十八願が開けたのである。それは聖人が最後に第十八願の真面目に立ち還えられた時は、称えて参ろうという利巧さも、諸善万行を修する尊さもないばかりでなく、聞くということも聞き得ない、信ずるということも信じ得ないところの愚禿であられたのである。それは今更初めて愚禿になったのではない。元来智目行足の欠けたる凡夫、願体戒手の叶わぬ衆生の、大馬鹿者に立ち還えられたのである。自分で聞いて信じて助けてもらうのではなくして、自分は聞く力も信ずる力もない、ただ如来のよきおはからいによって、助けられざるを得ない、全く自力無効、否、自力というものを持ち合わせないのである。

ー(8)へ続くー

大無量寿経について(6)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(6)ー臼杵祖山ー

 

仏菩薩のお心持ちを思うて見るに、私たちの方から見れば最も尊いすぐれた方であるが、それが私たちから尊ばれ敬われ、また親しまれ近づかれる程、それ以上に、自らへりくだって我は悪人であり凡夫であると自照され凝視されるのが、世に比類なき聖者であることが道味あれる。それについて私は痛切に感ずるのである。それは今の大無量寿経の大衆は皆ことごとく神通体達の聖者ばかりである。元来本為凡夫兼為聖人、凡夫本意悪人正機の法、即ち南無阿弥陀仏を説かれたる経文に、悪人凡夫が一人もいないということであるが、ここに深く思いをひそめて愛楽甞味すべきことである。かの神通体達の聖者に対して、悪人正機の法を説くということは、ちょっと変なように考えられるのであるが、その実そうでない。もし左様でなかったならば、それこそ大変である。それは真実の聖者でなければ、本当に凡夫であるということが明了に分からないものであるからである。私たちは表面では自分は悪人であり凡夫であるなどと言うておるが、その実は仏菩薩以上に常に高上がりをしているのであります。同等もしくは以上のものより圧制を加えられるるのさえも苦痛を感じる習いであるから、ましていわんや自分以下の者より命令されるなどとは到底堪えられない苦痛である。それは自分が仏菩薩以上に高上がりをしている意味において、仏菩薩を自分以下の者として見下げるのである。一体私たちの性情は、自分以上の人に対しては反抗し、以下の人に向かっては軽蔑するというような、それが自分が左様な性情をもっていると同時に、他人からも自分が反抗され、また軽蔑されるように、邪推僻執を起こすのである。であるから自分が他人に対しても、また他人が自分に向かっても、何れの場合においても、自分の頭を抑圧され軽蔑されるにつけても、これに反して自分が他人の頭を抑圧し軽蔑するというに当りて、瞋恚の焔を燃やすのであります。私たちがたとえ言葉の通りに、自分を真実の凡夫と信ずるならば、他から何と言われても立腹しないはずであるのに、そうではなくて、直ぐに立腹するなどとは全く自分を覚知しないからである。こんな高慢な態度には、本為凡夫の意味は分からないであろう。釈尊が弥勒菩薩に対して、

「汝、無数劫よりこのかた菩薩の行を修して衆生を度せんと欲う。それすでに久しく遠し。汝に従いて道を得て泥洹に至るもの称数すべからず。汝および十方の諸天人民、一切の四衆、永劫よりこのかた五道に展転して、憂畏勤苦具さに言うべからず。乃至今世まで生死絶えず。」

と仰せられたに対して、弥勒菩薩は釈尊に対して、

「仏の重誨を受けて専精に修学し、教えのごとく奉行して敢て疑うことあらず」

と陳べられてある。これは世の生老病痛苦に沈みて楽しむべき何ものを持たない、一生苦悩して生死の根本を解脱し得ない、常に貪欲瞋恚愚痴の苦悩の憂いにある凡夫の実性を自照しないものには、この「教えのごとく奉行して敢て疑うことあらず」の信甞は得られないのである。言い換えれば、弥勒菩薩には釈尊の仰せに対して、疑心をさしはさむほどの賢さを待たない、全然愚痴無智の凡夫であることの凝視である。この極めて従順なる態度こそ麗しい「如教奉行不敢有疑」の信念の発露となったのである。

これに反して、私たちはいつも本願を信じ得ない危ぶみは、全く自己妄執より起こり来る一種の悲哀である。驀進し得ない躊躇逡巡は驕傲高慢にともなう内面の暗影である。如来本願ほどのいわゆる金剛堅固なるより、より以上に自己妄執の力を以て、却って本願を危ぶむことは恐ろしい強者であり、智者であり、聖者であるとの自己妄信の振る舞いと言わねばならぬ。

いわゆる凡夫本意とか、悪人正客とかの言は、それ他から符牒をつけられたものではない。全く自らが自らを真実に凝視したる相である。天地洞然胸中無一物の境地、唯有一乗無二亦無三の見地、究竟一条至于彼岸の妙域、その一物を無くし、一乗をも究竟し、一人の世界をも摧破したる無碍道に立脚してみれば、弥勒菩薩も真実に凡夫であり、悪人であるとの実感を道味されたのであるということが分かるのである。

ー(7)へ続くー

大無量寿経について(5)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】

大無量寿経について(5)ー臼杵祖山ー

 

此に於いて大経一部の前後を対照して見るに、前には仏が衆生を合掌恭敬して仏が子となりて衆生を親として愛敬され、後には衆生が仏合掌恭敬して衆生が子となりて仏を親として念思される。即ち前の序分には、仏が純孝の子にして全く恒順衆生、また犢子大悲牛である。仏が衆生を合掌恭敬することが、これが道という道の総ての根本である。ものはよく両方面から味わわねばならぬ。たとえば孝行という道は、子が親に事るの道であって、それは親が子に向かって強いる道ではない。親は即ち不請の友となり、子に強いるのではなく子のために純真に尽くして行くことである。そこで親としての道は子に化ることである。この親が子を道とした反響が忽ちに子が親に尽くす道と化るのである。もしあやまって親が子に向かって強いる時は必ずや親に背く子が生まれるのである。ここにおいて今大経の「純孝の子の父母を愛敬する如し」とあるもの、これ子に強いざるもの、即ち子を理解し尊重して、親が親としての無理解な権威を振り立てざるもの、それは全く子に化りたる態度である。この理解ある慈愛と尊敬とに撫育教養されたる子にしてはじめて子としての道を踏み行い得られるのである。この意味が後に「仏のたまわく、我れ汝等諸天人民を哀愍すること、父母の子を念ふよりもはなはだし」との子としての道がはじめて子自身に実照されるのである。これを約言するなれば、親の道は子になることであり、子の道は親になることであるが如くに、仏の道は衆生になることであり、衆生の道は仏になることである。これを親鸞聖人は「普賢の徳に帰してこそ、穢国にかならず化するなれ」と仰せられたるによれば、世にもてはやされる浄化運動などの無意義なことは、遠くの昔に看破されていることに思い至らねばならぬ。如何ことあるも決して売名的妄運動は最も慎み且つ断じて退けなければならぬことである。これが大経の教育法にして、親鸞聖人が「真実の教とは大無量寿経是なり」と仰せられたのは、全くこの意味であることが尊ばれるのである。日蓮上人が法華経によりて体験された言葉に「凡夫は親なり仏は子なり」との仰せは、今親鸞聖人が「穢国にかならず化するなれ」との仰せと両々相照して、全く古鏡面前に灯火を藉らずと同一味である。親子は元来一体同身である。二筋のものを結びつけたものではない。親のままが子であり、子のありたけが親である。これについて又、涅槃経の文を思い出すのである。

「慈悲随逐すること犢子の如し。如来は即ち是れ衆生の母。慈心は即ち是れ小さき犢子なり。みずから衆苦を受けて衆生を念ず。悲愍の念の時に心悔いす」この経文の意を思うに、犢子となり母親となり、また犢子となるという一連一体であることが信嘗されるのである。仏は犢子となりてどこどこまでもつきまとうて行く。そこに如何に苦悩があろうとも厭はない。これを思うとき私一人がここに生活しているままが、不請の友となり、不請の法がましますのである。全く凡夫になりきって下さる仏の尊い、且つ親しいお心持ちに合掌せずにいられないのである。信仰の前には純真な赤子になれとよくいうのであるが、それももとより尊いことであるが、仏が先ず純真な子となりきって、私につきまとう同化円融される仏のお恵みを味わわねばならぬ。この仏心こそ、私の救われる所以であります。

近頃世間では反動思想ということをよく言います。思うにこれはただ近頃だけでないので、私たちは実は無垢以来、反抗心を以て生命としているものである。仏の本願のお心がどうもはっきりしないなどいうような心持ちを、よく考えてみると、それは全く反抗思想の変形とでも言われよう。助けてやると言われると、ただ何となく心の底に、「なに助けてはもらわぬぞ」というような心が頭を擡げる。「どうもはっきりしませぬ」と、これは優しく上品なようであるが、全く一種反抗思想の、それはまた上品に出て優しくくるだけ、それだけ、済度が難しいのである。斯様な反抗心がどうして起きて来るのであるかということを考えると、それは全く如来の喚び声を「助けてやるぞ」と上から強いてあびせかくる声のように解するからの反動である。弥陀如来はこれらの心理をよく理解して洞察して、決して強いるということなく、よく不請の友となってあることが、この大経の文によって信嘗せられるのである。仏の方から掌を合わせて、どうぞと本願を私衆生に奉られる。そこには反動思想など起こす間隙はない。

-(6)へ続く-

大無量寿経について(4)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】

大無量寿経について(4)ー臼杵祖山ー

 

《恒順衆生とはいわく尽法界虚空界十方刹海、所有衆生種々の差別、いわゆる卵生溼生化生乃至無足二足四足多足有色無色有想無想非有想悲無想、かくの如きらの類、我みな彼において随順して転じ、種々に承事し種々に供養すること、父母を救うが如く、師長及び阿羅漢乃至如来に奉るが如く等しくして異りあることなし。諸の病苦において為めに良醫となり、失道者においてはその正路を示し、暗夜の中においては為めに光明となり、貧窮者に於いては伏蔵を得しむ。(中略)衆生を因として大悲を起こし、大悲を因として菩提心を起こし、菩提心を因として正覚を成就す。譬えば曠野砂磧の中に大樹王あり、若し根に水を得れば枝葉莖果ことごとくみな繁茂するが如し、生死曠野の菩提樹王も亦た復たかくの如し。一切衆生を樹根となし、諸仏菩薩を莖果となす。(中略)この故に菩提は衆生に属す。もし衆生なかりせば、一切の菩薩は終に無上正覚を成すること能わず。(中略)衆生に随順して、虚空界尽きるとも衆生界尽きるとも衆生煩悩尽きるとも、わがこの随順は窮尽あることなし。念相々続して間断あることなし。身語意業疲厭あることなし》

衆生を離れて如来あり、如来以外に衆生の存ずるように思うのであるが、今この恒順衆生の願の意味をよくよく按ずるに、弥陀を助けた如来は全く十悪五逆の凡夫である。私自身からは凡夫であるが、如来の眼から見れば凡夫のままが如来である。弥陀からいう如来は凡夫である。そこで弥陀は久遠劫来今日今時にいたるまで清浄真実にして合掌作礼の愛敬をささげられるのであるとの意味が恒順衆生と顕れたのである。

これを又、涅槃経に依りてみるに、釈迦が純陀という一工匠の信者に対して、

《南無純陀南無純陀、汝今すでに檀波羅蜜を具す。なお秋月十五日の夜、清浄円満にして諸の雲翳なく、一切衆生の瞻仰せざるなきが如し。汝も亦かくの如し我らの瞻仰するところたり。(中略)南無純陀、このゆえに汝は月の盛満して一切衆生の瞻仰せざるなきが如し。南無純陀人身を受くといえども心は仏心の如し。汝今純陀真にこれ仏子なり》

と、釈尊が信者の純陀に対して、南無純陀の言を幾度も繰り返されたということは、そこに最も敬虔なる態度を以て合掌作礼されたこと、即ち我釈迦が純陀を導いたのでなくして、反って彼純陀こそこの自分を教えられたのであるとの意味が信甞されて尊いのである。これらの意味から涅槃経にまた更に説いてあります。

《世の救いは要求して然して後に得、如来は請うことなけれども、しかもために帰したもう。仏世間に随うこと犢子のごとし。このゆえに大悲牛と名づくることを得る》

この頌文は今大無量寿経の「諸の庶類のために不請の友となり。(中略)不請の法を以て諸の黎庶施すこと、純孝の子の父母を愛敬するが如し。」とあるに同じく、又、華厳経の「諸の衆生のために不請の友となり、常に勤めて無帰向の者を守護して世間を捨てず」とあるに等しく、又恒順衆生の願の意趣と同一味であることが道味されるのである。

ー(5)へ続くー

大無量寿経について(3)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】

大無量寿経について(3)ー臼杵祖山ー

 

是等の意味を他の経典の一二について観るに、先ず法華経の五序六端につきて、この土即ち娑婆世界の釈尊説法の六瑞相と、他土即ち十方法界の諸仏説法の六瑞相とを説きて、一仏釈尊を囲繞せる荘厳相を説けるは、方便品の唯仏興仏乃能窮尽諸法実相と相照らして見るとき、また、梵網経の「我今盧舎那、方坐蓮華臺、周匝千花上、復現千釋迦、一花百億國、一國一釋迦、各坐菩提樹、一時成佛道」之は釈尊説法の相である。これらの上にも、一盧舎那仏の説法と、千華上の千釈迦と、更に一華百億国に現する各々の百億の釈迦とが相互に念照らせらるるの偉大不可思議相である、そのままが我らの心象として信嘗道破されるのである。

経文について単に学究的でなく、心象の融照を本として経文を味わうとき、これに文句以外に学級以上に、私の心琴に触れるもの、即ち如来自爾の躍動を見照せらるるのである。斯様な信嘗によりて見るに、十方三世の諸仏に百重千重囲繞せられて擁護せられつつある私である。それが決して私から頼んだのでないのに、向こうのほうから喜び護って下さるのである。この意味において経文にある不請の友ということを切実に感じさせられます。如来よりいえば、願われざるに友としてこれを親しみ護ること。私からいえば願わざるに友として親しみ護りて下さることである。これは大経に限らず全ての経には、不請の友、不請の法と説いてあります。全体仏法には己が救うてやるとか、助けてやるとかいうような絶対の権威者、独宰官的救世主はないのである。然るに一寸見ますと、阿弥陀如来は、救うてやる助けてやるという絶対の権威者のように思われ、また左様に思いなされてある。御文章に「阿弥陀如来のをほせられけるやうは末代の凡夫罪業の我らたらんもの罪はいかほどふかくともわれを一心にたのもん衆生をばかならずすくうべしとをほせられたり」と、又、散善義の二河譬には「汝一心正念にして直ちに来れ。我能く汝を護らん。すべて水火の難に堕することを畏れざれ」と。又、四十八願中に「若し生まれずんば正覚をとらじ」とあるは、これらは全く南無阿弥陀仏に救われた釈迦の御心もちを以て、阿弥陀仏の慈悲の内容を述べられたものである。阿弥陀仏自ら、直接に救うてやるぞと呼ばれたのではない。それは正しく救われた者が、救う人の心にあてはめたものである。私の方から言えば願わざるの友、如来の方より言えば、維摩経に「衆人請わざれども友として之を安んず」とあるが如く、仏は信ずる者は助けるが、信ぜざる者は地獄であるというような生殺与奪の権を持つものとは違う。その辺は罪を裁くという西洋の宗教とは余程相違点がある。仏法の世界はどちらからも合掌の拝み合いである。私からは仏様のおかげ、仏様からは衆生のおかげと拝み合い、双方にお互いに不請の友となることが仏教全体の尊い意味である。

華厳経の不請の友となり、常に勤めて無帰向の者を守護して世間(衆生)を捨てずとある。これが仏の心である。帰命したから助ける、それまでは救わぬ、つまりこちらの心次第で助けるという、そんなことではない。無帰向の者にこそ全力を注ぎ、決して諦めず守護して下さるのである。そこで信ずるからというのでなくして、自然に信ぜさせるを得ないことに至らしめらるるのである。親鸞聖人の御心には華厳経、涅槃経等の影響が非常に深いように思われます。華厳経にも深い深い他力の真味が説いてあるが、それが即ち阿弥陀仏のことである。今この大経と華厳経とを並べてみるときは、その意味一連の経であると言われる。それは大経序分の文と華厳経(四十華厳)最後の文と、その意味が同一であると言うてさしつかえない。大経には不請の友となると説いてあるが、何故に不請の友とならねばならぬかということが明了には分からない。この点において華厳経においては鮮明に説いてある。即ち、善財童子という熱心な求道者があって五十三人の善知識を次々に訪ねて行き、而して最後に普賢菩薩に由りて十大願を授けられ、西方極楽の阿弥陀仏の浄土に往生することを説かれ、結局は弥陀一仏におさまるのである。その十大願中の第九に、恒順衆生の願、恒に衆生を願うとは、即ち仏の存在は衆生によって顕れるのである。もし衆生をのけて外に仏の存在はない。これによって私たちはいつも仏様に親愛されているばかりでなく、尊敬されているのであります。この慈悲の親愛と智慧の尊敬との意をよく愛楽すれば、これだけで既に助けてもらう、もらわぬは問題ではない。我々はとかく他人根性を以て、どうでも助けてもらわねばならぬという水臭い心を持つのであるが、仏に愛され敬せられていることが分かれば、それが助かっていることである。特別に鹿爪らしく助けてもらわねばならぬというような、隔て心のないのが親子の間柄である。隔ての無い間柄ということが味わわれることが助かっていること。恰度純孝の子が親を愛敬するように、仏が私を愛敬して下さるのであります。そこにはおれが助けてやるぞというような、高い所から見下して、呼びかけるという態度は毛頭ないのである。私を親とし愛敬し、仏が子として純孝するというは、仏が私に対して助けさせて下さいという本願を建てて下さったのである。どうしてこんな本願を建てられたのか。それは迷うているものが可哀想だというだけでなく、何故ということ強いていうならば、弥陀は迷うている凡夫によってこそ、正覚を成じたのであるから、この弥陀が助けられ救われた一大善知識の前に合掌作礼して、どうぞ助けさせて下さるようにと願われる外にはない。これが第九の恒順衆生の願であります。今その経文を挙げて、その意を明らかにしたいと思います。

ー(4)へ続くー

大無量寿経について(2)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】

大無量寿経について(2)ー臼杵祖山ー

 

この一人という信甞道味の大地に立ってみる時、そこからどこどこまでも拡げられて、万二千の大比丘衆が現れて来ることは必然である。それはただ、いわゆる宗教とか信仰とかの上についてのみに、左様あるのでなくして、私達の生活の全体が全くそれであります。一例を挙げて申しますれば、汽車に乗ってもこの私一人が汽車に乗せて頂くことを簡単に考えれば、乗車券一枚で総てが尽きるが、しかし深く思わねばならぬことはそこである。それは、私一人が汽車に乗るためには、古今東西の学者が頭脳をいためて研究し、また世界遠近の工場が昼夜不断に働いてくれてこそ汽車もできる。その汽車に乗っている私一人の上に、あらゆるお恵みがおさまっているのであることを思う時、釈尊一人の周囲にあらゆるものがこの尊い心持ちを味わうことが出来るように、境遇を与えられたことを喜ばれたに違いない。それはただ汽車ばかりのことではない。たとえ一粒の米も一滴の水も、また斯くの如き意味が含まれて、そうして一切の口腹を飽き満たさしめ、一切の枯渇を潤し生かすものである。また、仏教には影響衆、或は擁護衆ということを説くのである。説法するには草木土石に向かっては出来ぬ。聞いて下さる方が即ち擁護衆である。釈尊には、おれが法を説いて聞かせてやるというような御心は全然なかったのである。文珠普賢に対しては、常に往昔の諸仏として先輩というお考えを持っていられたのである。それはただ、文珠普賢などばかりではない、一切大衆に対せられたる敬虔なる釈尊の心象である。

又、この万二千人等の意を拡大する時、釈尊はこの世界だけではない、十方世界で説法せられているのである。大経の上でははっきりしないけれども、簡単なことは、釈尊と阿難との物語に、去来現の仏は、仏と仏と想念するとある。この意味は、ただ今この釈尊一人が、この経を説かれつつあるだけでなく、今、南無阿弥陀仏の経と説く釈尊を中心に、竪は三世、横は十方の御仏が私を念じ護っていて下さるという感を持たれたのであるとも味わわれます。それは一仏の所説は、一切仏の説かれるところであるからであります。かの五徳瑞現についても、釈尊がそのまま全阿弥陀仏の相を顕わされたもので、これは仏々想念の具体化された相にして、釈迦は弥陀を、弥陀は釈迦を想念せられたものにして、即ち釈尊自身の信心歓喜乃至一念の信仰の相が、五徳瑞現として顕れたものである。また阿弥陀経について見るも、その仏々想念の相が判然と知らるる。

【 舎利弗、我今阿弥陀仏の不可思議を讃歎するが如く東方にー中略ー上方世界にもー中略ー是の如き等の恒河沙数の諸仏ましまして各其国において、広長の舌相を出して遍く三千大千世界を覆うて誠実の言を説きたもう。汝等衆生まさにこ不可思議功徳を称讃せる一切諸仏所護念経を信ずべしー中略ー舎利弗、我今諸仏の不可思議功徳を称讃するが如く、彼の諸仏等もまた我が不可思議功徳を称説して、しかもこの言を作す。釈迦牟尼仏よく甚難希有のことをなして、よくこの娑婆国土の五濁悪世の刧濁見濁煩悩濁衆生濁の中において、阿耨多羅三藐三菩提を得て諸の衆生のために、この一切世間難信の法を説きたもうと】〈仏説阿弥陀経より抜粋〉

この経文中にも、よく仏々想念の意味が表されてある。斯様な意味をもって、私たちの日々を反省してみる時、今私がお話をしていることを中心として、三世十方無量の諸仏に念願され擁護されていることによって、ここに始めてこのご縁を得させて頂いていることを慶ばずにはいられない。また私がただ一人歓喜することができるのも、また三世十方無量の諸仏が、百重千重囲繞して仏々想念のお恵みによってのことであることが尊まれます。此界に一人念仏すれば、彼土に一連生ず。私の念仏と極楽と、また私と阿弥陀仏が全く一心同体になる。仏々想念、古鏡面前燈火をからすという底の仏法味三昧食である。古人の歌に、

ひと聲に 三世の仏の名をこめて 称ふるたびに となえぬはなし

と、言えるは希有最勝の極まりであります。

 安心決定鈔に、【弥陀大悲のむねのうちに、かの常没の衆生みちみちたるゆえに、機法一体にして南無阿弥陀仏なり。われらが迷倒のこころのそこには、法界身の仏の功徳、みちみちたまえるゆえに、また機法一体にして南無阿弥陀仏なり。浄土の依正二報もしかなり。依報は、宝樹の葉ひとつも極悪のわれらがためならぬことなければ、機法一体にして南無阿弥陀仏なり。正報は眉間の白毫相より千輻輪のあなうらにいたるまで、常没の衆生の願行成就せる御かたちなるゆえに、また機法一体にして南無阿弥陀仏なり。われらが道心、二法、三業、四威儀すべて報仏の功徳のいたらぬところなければ、南無の機と阿弥陀仏の片時もはなるることなければ、念々みな南無阿弥陀仏なり。されば、いずるいき、いるいきも、仏の功徳をはなるる時分なければ、みな南無阿弥陀仏の体なり。】

 身心二法、身口意三業、行住坐臥の四威儀、一挙手一投足が、ことごとく三世十方諸仏の擁護を蒙りているのである。またそれが三世十方諸仏の一挙手一投足であるとも味わわれる。ここに至りては、南無阿弥陀仏と合掌するまでが、自分自身の尊重さを拝まずにはいられないところが、仏々想念である。

ー(3)へ続くー

大無量寿経について(1)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年4月1日発行分】

大無量寿経について(1)ー臼杵祖山ー

 

経文の文章の完全したものには、大部分、今この大無量寿経の始めにある如く「我聞く是の如し一時仏王舎城耆闍崛山中に住したまい、大比丘衆万二千と倶なりき、一切大聖にして神通已に達せり」等とあります。この中に万二千人の大比丘や文珠普賢弥勒等の菩薩、又、無量無数の方々が集まっていられるような形式が説いてある。こういうような点について、私が考えさせられることは、これは単に釈尊の説法の時処だけにあったことではない、私たちがこうしたお話をさせて頂いている時、又、ただ一人にて念仏愛楽している時も、これと同じ意味が備わっている。経の文句を借りていえば、私一人念仏していれば、そこには必ず万二千の大比丘衆というか、無量無数の菩薩聖衆というか、これらの方々が私一人を中心として、百重千重囲繞して喜び護りたもうのであります。

これについて更にこの経の前後表裏、内容外観を篤と信甞するに、二巻中の始めの大半は阿難尊者を、後の大半は弥勒菩薩を相手として、釈尊はその対告衆一人とただ二人きりの物語で、その他には誰人もいない。万二千人等の文句は、後に経典を編纂する時に当たって、釈尊の徳を讃歎景仰する意味よりして、これを加えたものと味わっても一向に差し支えないと思う。

私はこれを更に押し進めて道味するに、阿難弥勒ということもまた、釈尊お一人の心持ちである。釈尊の御側に二十余年間も奉事していたというこの歴史的阿難を否定するというのではないが、これはただ阿難とは歓喜又は慶喜という意である。大経に説かれたる法蔵比丘の五刧永劫の修行、南無阿弥陀仏の成就、極楽荘厳の尊いこと、これらに対しては誰も歓喜せざるを得ない。即ち釈尊の主観の表現が阿難であり、全く信心の相が阿難である。また弥勒というも、また単なる別人のそれでなくして、釈尊の主観の内容としてであると味わうのであります。丁度釈迦種族の曇悉達多といえるが如く、慈氏の弥勒と言われたもの、慈悲は必ずその一方に悲惨な哀れな光景に対して現れて来るもの、即ち下巻は人間世界の人も家も共に恐ろしい有無の闘諍に没頭している悲惨なる実境が、五悪段を中心として、綿密にしかも組織的に説かれてある。この話相手が慈悲氏の無能勝ー阿逸多ーであった。しかしこれも、あんたと私と話しましょう、というだけのことでなくして、釈尊の慈悲心を開展されたものである。即ち大無量寿経は、釈尊一人の一心の内容を黙然とし、対内的に、しかも尚且つ深刻に、禅三昧食を愛楽された信心歓喜の意趣において相違がある。ここにおいてその相違の点を反省すると同時に、釈尊のそれを愛楽して、釈尊のままを自分自身に取り入れて、これを信甞道味せねばならぬことであります。

私はここに更に意味深く感じますことがある。それはこの阿難相手と弥勒相手との中間に、丁度、蝶番のようになっているのが、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転」等の本願成就文である。これが大経上下二巻を貫通した一心信仰の内容である。この一心から現れた極楽であり娑婆であり仏教界であり人間界である。極楽や地獄があるかないか、もしあれば信ずるが、なければ信ぜずともよい、もしも斯様な心が土台であったならば、たとえあると思うも無いと思うも、共に虚誑迷妄である。そこには「聞其名号 信心歓喜」の蝶番がなければ、ただ左様に思っているだけで地獄、極楽を実際に見ることが出来るのではなしに、ただ経文に左様にある、斯様にあると思っても、それは夢の牡丹餅のようなものにして、決して心の底が中々に承知せないのである。聞其名号信心歓喜乃至一念の見地からでなければ駄目である。また人間の進むべき道を明らかに見せて頂くには、乃至一念至心廻向に由らねば得られない。この一念に立脚して初めて一方極楽荘厳の歓喜の心も、また一方、人間生活の自分の立場がどんな大地に立っているか、全く自分が自分を哀れみ、慈悲をかけずにおれないというこの二つの心は、全く乃至一念の本源から両方に流れ出るのである。この意味で釈尊の信心歓喜の一念が阿難の歓喜ともなり、弥勒の慈悲ともなったのである。そこでこの極楽と人間界、真の仏知見と真の人間味を見出すことは、この乃至一念至心廻向の御恵みである。

ー(2)へ続くー