新芽のごとく

昨日(5月18日)、毎年恒例の「初参式」を行いました。

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「初参式」とは、読んで字の如く、「生まれて初めてお寺にお参りする」方(つまり赤ちゃんですね)を御祝する儀式です。

お寺参りをする、ただそれだけのことをなぜ言祝ぐのか。

仏教にはこんなたとえがあります。

「世界で最も高い山のてっぺんから糸を垂らして地上にある針の穴にその糸を通す。」

そんなバカなことあるはずないでしょ・・・

そう、そんなありえないことが、人間として生まれ、さらに仏教に出遇うということなのです。

仏教の世界観は地球だけにとどまらず遥か宇宙へと拡がっています。その宇宙的な視野からすれば、満天の星中、地球に生まれたということだけでも稀の中の稀。そして数え切れない生物の中でも人として生を受け、真理の言葉、仏の御教えを聞かせて頂くことが出来るのは難中の難としか言いようがありません。

そんな尊い生の機縁を賜ったのだから「初参式」と御祝するのです、がしかし。

賜っていながら、それが「当たり前」だと勘違いをし、感謝どころか日々「あれが足りぬ、これも足りぬ」と不平不満を垂れ流し。仏教の話を聞けば、有り難がるどころか、寝る。それが私という凡夫(煩悩の生活者)の姿です。

そんな不届きものは、世間ならば「負け組」か何かとしてうっちゃられるまでなのでしょうが、その凡夫をこそ目当てと立ち上がった仏の大慈悲心の御教えが、親鸞聖人の明らかにされた浄土真宗です。不届きで、さらにはかげろうの如く儚い人生を送らざるを得ない人間の命に、真の尊さを知らせて下さいます。

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さて、今年の「初参式」は、二人の女の子に受式頂きました。

司会や、御祝の挨拶、会場の接待など、お手伝いに集まって下さった婦人会の皆様も、思わず顔を綻ばせる玉のような赤ちゃん。

その血色の好さから「赤ちゃん」というそうですが、「みどりご(緑子、嬰児)」とも呼ぶのは御周知の通り。

新芽のように艶やかで美しくみずみずしいから「みどり」という。

丁度、今、五月の新緑の季節にぴったりな初参式でした。

 

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