梅雨でも空梅雨というのでしょうか、お天気も良好で風も爽やかな本日(6/15)、たまたま平和公園の通りを歩いていると、平和大橋西詰辺りに人だかりが・・・
結構な人数です。あの向こうでは何が行われているのでしょうか。気になります・・・
「ジュノー記念祭」
マルセル・ジュノー(1904~1961)
スイス生まれの外科医。
広島県医師会の冊子によると、
「スイス医師のジュノー博士は、赤十字国際委員会駐日主席代表として、終戦直前の1945年8月9日(広島被爆の3日後で長﨑被爆の当日)に空路東京に降り立った。その任務は、日本にとらわれている連合軍捕虜の調査と支援(安全な帰国)であった。8月15日に日本は降伏し、以後連合軍総司令部(GHQ)が日本を統治することになったが、米軍を中心とする連合軍にとって、広島・長崎の原爆投下の事実は、他に知られたくない極秘事項であった。日本各地に派遣した部下の1人から、9月2日に広島の惨状に関する報告を受けるや、博士は持ち前の卓越した交渉力によってマッカーサーGHQ総司令官を説得し、1万人の兵士を1ヶ月治療できる量である15トンの医療品・医療材料の提供と広島への空輸を約束させた。9月8日には、この医療物資の空輸に同行し、物資を広島県知事に引き渡し、4日間の広島滞在の間、市内の救護所を回って被爆者の治療をおこなった。ペニシリンやプラズマ製薬など最先端の医薬品を含むこの15トンの医療物資は、2~3万人の被爆者の命を救ったのではないかと言われている。」
終戦当時、アメリカは、広島・長﨑に投下した原爆の事実を隠ぺいするため、かなり神経質になっていたと思われます。赤十字は国際的な医療機関ですから、GHQとしてはジュノー博士に動いて欲しくなかったことでしょう。しかしながら、そこを押し通して、マッカーサーを口説き落とし救援を実現させたのには、医師としての使命はもちろん、傷ついた人々を身をなげうってでも助けずにはおれない、尋常ならざるやさしさがあったからではないかと思います。「医療面で広島を支援した、最初でただ一人の外国人」と言われるのもそのことを裏付けています。
記念祭は、ジュノー顕彰碑の前で、博士命日6/16を機縁に毎年開催。
医療関係者を中心に、顕彰碑に献花がなされ、少年合唱隊や中学校の吹奏部は音の花を添えていました。
最後に、池田博彦さん(ドクタージュノー研究会)という方が締めの挨拶をされていましたが、参列した多くの子供達の前に感極まり、ジュノー博士の功績が若い世代に伝わっていることの喜びをお話になられました。
来年は戦後70年を迎え、原爆の記憶も歴史の必然として風化しつつあります。しかしながら、遺さねばならない記憶、伝えてゆかねばならない記憶があります。
世界が残すべき普遍的な遺産はモノだけではありません。ジュノー博士の気高い行為は、世界遺産に匹敵する価値を持っているのではないでしょうか。
それだけに「ジュノー記念祭」を、子供達を招いて斯様に盛大に毎年開催している広島医師会の活動は、たいへん意義あるものと感じました。
顕彰碑後ろの写真がジュノー博士。面持からやさしいお人柄が偲ばれます。









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