寺院情報

浄 宝 寺 の 歴 史

 淨寶寺の前身は山県郡荒神原の日野溝からはじまり、毛利元就が郡山城居城(一五二三~)の時、吉田(安芸高田市)の飛諏訪に移転。その後毛利輝元の広島城築城に伴い、慶長年間(一五九六~一六一五)に広島城下の中島へと移りました。

 京都の大谷本廟にある淨寶寺の旧墓碑には「芸州廣島淨寶寺 元和元年(一六一五)六月」と刻字されていたことから、遠く離れた本山墓所に墓碑を有するほど、寺基はその頃既に安定していたのでしょう。現存する最古の史料は過去帳で、元禄二年(一六八九)から記載されていますが、それ以前のものは「中島の大火」により焼失したと思われます。

 昭和二十年(一九四五)一月十八日夕方、旧庫裏の一室を間借りしていた居住者の失火により、本堂と旧庫裏は全焼。辛うじて、ご本尊阿弥陀如来像、親鸞聖人と蓮如上人の御絵像、聖徳太子像(迦洞無塀作)親鸞聖人御絵伝四幅と過去帳は、当時住職の令海が即座に避難させ災禍を免れました。それら寺宝は当代坊守の里、緑井専蔵坊へ一時預けられたため、後に原爆の被害に遭うこともなく、往時の姿のまま今に伝えられています。中島の淨寶寺は今の平和記念公園の慰霊碑から十数m西に位置しており、八月六日の原爆によって街もろとも壊滅。疎開中の前住職(当時十二歳)を残して寺族全員が被爆死しました。その後は、戦後の都市計画法に基づく換地により、現在の大手町3丁目に寺基が定まります。昭和28年(1953)、本堂を再建するも造りは堅牢とは言えなかったようで、20年ほどで著しい老朽化が見えはじめました。本堂改築の気運高まり、昭和54年(1979)、現在の鉄筋コンクリート製の本堂が落成。それから43年を経て令和4年(2022)11月、大改修に着手し、令和5年(2023)5月31日落成致しました。

 改めて淨寶寺の歴史を振り返ると、幾度も廃寺の危機に瀕しています。しかしその都度困難を乗り越え、絶えることなく法灯は引き継がれてゆきました。この度の大改修も新型コロナ禍、ウクライナとロシアの戦火による資源高など厳しい情勢を背景にしながらも、無事大改修を終えることが出来ました。これもひとえに門信徒の皆さまのご理解と厚いお力添えの賜物と、改めて深い感謝の念に堪えません。

寺  名:宗教法人 淨寶寺(じょうほうじ)

山  号:飛諏訪山(ひすわさん)

宗  派:浄土真宗本願寺派 (西本願寺)

本  尊:阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

宗  祖:見真大師 親鸞聖人(1173~1263)

門  主:第25代 大谷光淳 師

経  典:浄土三部経 【仏説無量寿経(上・下)・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経】

                                                   

住  所:〒730-0051 広島市中区大手町3丁目1-24

電  話:082-241-1586

ファクス:082-241-8577

H   P:http://jyouhouji.org (since October 1, 2012)

住   職:第17代 諏訪義円

前  住  職:諏訪了我

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