平成26年、西暦2014年、そして仏暦2557年、新たな年を迎えました。
お正月、朝の平和大橋。車両も少なく空気が澄んでいます。
「新しい」、という言葉には魅力的な響きがあります。まあ、まだ始まったばかりなわけですから、色々な可能性を秘めていますし、何か明るい未来を予感させるものがあります。
今年はどんな年になるんでしょうか。
私の知り合いの先生は、「真は新なり」と仰っていました。
真実なるものは常に新しく生き生きとしているんだと。
しかしながら、反対に、必ずしも新しいものが真実とは限らないとも・・・
確かに新しいものは、無限の可能性を持っている。そして新しいものを追い求め、その探求によって大いなる成果を人間は手中にしてきました。
ところが、新しいものの多くが時代の淘汰を経て消え去っていきます。それが本物であるかどうかの見極めは甚だむつかしく、時代の証明を待たねばならないでしょう。
もしかすると百年も経てば跡形もなく消え去ってしまうようなものに、私達は新しいからといって飛びつき一生を捧げている可能性もあります。
では、私達が今接することの出来る、常に新しく生き生きとした真実なるものとは何か?
それは如何なる時代、如何なる場所においても、人間の課題、人間の要求に応え続けてきたものではないでしょうか。
応え続けて来たということは、古びることがないということ。
そして、古びないということは、常に新しいということに他なりません。
インドでの釈尊のご出世以来、2500年以上に亘り国を越え時代を超えて護り伝えられてきた仏教は、まさに古びない、常に新しい教えと言えます。
積年の風雪に耐えぬき、既に時代の証明を得た本物の一つと言えましょう。
安田理深という宗教家は、
「古いものが、新しいんだ。」と仰っています。
その真意には計り知れないものがありますが、一体どこに向かっているのか甚だ不明瞭なこの時代、「古いもの」すなわち「古びないもの」に立ち返り、新しい時代を見つめるまなこを養うことが大切だと、迎えた新年に当って思うのでした。






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