Archive for 3月 2017

蕾コンサート(黒瀬町 徳正寺)―伎楽慈音

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ここは、東広島市黒瀬町、徳正寺の門前。

山門・経蔵・本堂・大玄関・書院と諸堂堂々と備わった、由緒ある浄土真宗本願寺派寺院です。

実は先日3月26日(日曜日)、ここ徳正寺において「蕾コンサート」が開催されました。

「蕾コンサート」とは何か?

まだ肌寒さの残る三月下旬、いつ花を咲かせようかと頃合いを窺いながら膨らませている桜の蕾から、その名が冠されたのでありましょう。

この時期、地元「黒瀬吹奏楽団」定期公演の場として、今年で第10回目を迎えたのであります。

ところで、その徳正寺、ご住職夫妻、その息子夫妻とその孫達に至るまで、全員が音楽を愛好しているという筋金入り。

コンサートは第1部コーラス・第2部雅楽・第3部吹奏楽と盛り沢山の内容ながら、その全てに、ご住職をはじめとする徳正寺一家が所属演奏しており、また遡ればその全ての創設の中心にいらっしゃるのでした。

そして不肖私はと言えば、第2部雅楽に出演した「伎楽慈音」(徳正寺主催の雅楽グループ)の一員として、この地にやってきたという訳です。

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さて、コンサートが始まってビックリ。本堂は超満員!用意した120席では間に合わず、急遽長椅子を追加する始末です。

第1部はコーラス「黒瀬和雅の会」。吹奏楽の生演奏をバックに朗々と歌い上げます。

因みにこの指揮はご住職、コーラス部員にその奥様、そしてバックドラマーに小学生のお孫さん。

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続いて第2部。雅楽は「伎楽慈音」の出番、即ち私の出番でもあります。

楽器の構成は、笙(和音を奏でるコード進行的な役割を担う)・篳篥(主旋律を奏でる、象のパオーンという鳴き声に近い楽器)・龍笛(主旋律に装飾的な音を施す楽器。私の持管です)という基本構成に加え、

鞨鼓(鼓状の鳴り物を両手に持ったバチで打つ、指揮者的な役割を持つ楽器)・太鼓(但し和太鼓のような奥行のあるものではなく、強いて言えばルンバみたいな形)・鉦鼓(ドラを小さくしたような形状で、真鍮製。金属的な音が出る)という打物に、

琴に琵琶と、雅楽においては上級者が演奏する弦楽器が加わりました。

本格派、豪華メンバーです。

因みに、鞨鼓はご住職、琵琶はその息子さんの副住職、太鼓は先ほどのコラースバックでドラムを勤めたお孫さん、鉦鼓は息子さんの奥さんと4名が出演。

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そして、いよいよメインの第三部「黒瀬吹奏楽団」による吹奏楽です。プロやセミプロ、呉の海上自衛隊楽団員もいらっしゃるということで、ハイパフォーマンス!

さらに、巧みな司会進行・シナリオと小ネタ(音楽当てクイズをはさむなど)で、聴衆を飽きさせません。

因みに、ご住職はバスーンで出演、そしてまたもやお孫さんがパーカッションを演奏。正に八面六臂の大活躍です。

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そして迎えた千秋楽、広島では「お約束」或いは「鉄板」のカープ応援歌。

間もなく始まるプロ野球本戦に向けて、しっかり応援しつつ、見事コンサートは締め括られました。

いやー、ほんとうに音楽って、いいもんですね~

と思わず顔が綻ぶ、すてきな時間でありました。

(因みに「蕾コンサート」、入場は無料です)

 

総永代経・春彼岸法座

去る、3月16日、恒例法要「総永代経・春彼岸法座」をお勤めいたしました。

永代経とは、浄土真宗のみ教え(経)が永久(永代)に守られ伝えられていくことを目的として、お亡くなりになられた方やご自身の名前で寺院に布施を行うものです。仏法2500年の歴史、それは人類の至宝ともいうべき教えですが、その仏法を次世代に繋ぐという崇高な行為と言えます。ご進納者のお名前は「永代経台帳」に記名され、それをご縁として、毎年「総永代経法要」をお勤めさせて頂くというわけです。

「春彼岸」、彼岸とは正確には「到彼岸」といいます。仏教では、われわれの住む世界を「娑婆」と定義します。娑婆とは古代インド語「サハ―」の音訳。意訳すれば「忍土」。耐え忍ばねばならない悩ましき世界ということです。そんなわれわれの世界を「此の岸」とたとえるならば、清らかな悟りの世界は「彼の岸」。つまり「到彼岸」とは、悟りに到るということ、即ち仏道修行のことを言います。

ところが浄土真宗には修行がありません。ないというか、人間はあまりに煩悩が激しくて心が汚れているので、何一つ修行が成り立たないのです。それを浄土真宗の開祖親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄一定すみかぞかし」(歎異抄)と告白されています。どんな修行も叶わない身、つまり仏道にすら立てない身、ならばどうしても地獄が私の棲家とならざるを得ないのだと。

しかしながら、そのような地獄行のものをこそ救わんとするみ教えが、本来の仏教でした。「此岸」から「彼岸」へ自力で泳いで渡れる者には救いは必要ありません。溺れるものこそ救いは必要なのです。それを説いたのが「仏説無量寿経」であり、その中核にあるのが阿弥陀仏の「本願」、すなわち仏様の根本の願い、全ての生きとし生けるものを必ず救わんとする絶対救済の誓いです。

ですから浄土真宗における「到彼岸」とは、自力の修行で「彼岸」=「悟りの世界」へ到達するというよりも寧ろ、修行出来ない身がいかに「本願」によって「悟りの世界」へと導かれていくのか、既に仏によって定められているその道筋をお聞かせ頂くことなのです。

つまり「ご法話を聞きましょう」ということですね

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ということで、今年は福岡県築上郡築上町築城、金剛寺前住職、大江智朗先生(85歳)にご講師としてお越し頂きました。

大江先生は私の京都時代の上司であり恩師であります。

あたたかいお人柄の滲み出るお説教は、聞く人を和やかにします。

ユーモアに溢れ、時には鋭く人間の有り様を言い当てるお言葉に皆惹き込まれていきました。

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「地獄に行くものが救われていく。浄土真宗はよろこびの宗教である。皆さん、笑顔になんなさい。」

その笑顔を見たお子さんやお孫さんに、浄土真宗のみ教えは伝わっていくんですよと、お話になられた大江先生。確かにしかめっ面をしていたら、人は寄ってきませんよね。

と、最近むっつり顔の多い自分にとって、貴重な気づきのご法縁でした。