前回、5月の更新から約4ヵ月。季節は移り変わり、新緑から梅雨、猛暑を経て、朝夕の風に秋を感じる今日この頃となってしまいました。もう何人も続きを期待していないであろう「スリランカ滞在記」。なぜ長期に亘り休止していたのか?その理由は闇に葬りつつコッソリ更新させて頂きます。
さて、二年前の八月下旬、我ら一行はスリランカはキャンディー「仏歯寺」に在していたわけですが、その仏歯寺について興味深いエピソードが、現在読み進めている本に記されていたので少し触れてみたいと思います。
『明恵 夢を生きる』河合隼雄 著(講談社+α文庫)
これは親鸞聖人と同時代を生きた、華厳宗の名僧、明恵上人の遺した「夢記(ゆめのき)」に、ユング派の分析心理学者、河合隼雄氏(故人)が着目し、明恵上人の夢を分析して様々な考察を加えたものです。河合先生は史実と「夢記」を照らし合わせながら、はるか800年近く前を生きた人物の心の動きを鮮やかに生き生きと蘇らせてゆかれます。
そして、この本によると、ユングも「仏歯寺」を訪れたことがあるというのです!
その時のユングの体験が載せられています。
「私が岩の入口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。つまり、私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものはいくらかはあった。それはかつて私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった」(同書180P)
私の感想としては、仏歯寺に入ろうとしたその瞬間、あらゆる妄念が吹き飛ばされ、ただ事実のみが残るという、言い換えれば純粋な「あるがままの自分」を、ユングは体験したのではないか。その過程がきわめて苦痛であったというのは大変気になるところですが、妄念が消失した状態は仏教的に言っても非常に高い精神的境地と言えます。
(※注意!㊤は素人が自分勝手に解釈して憶測で言ってます)
ユングの言う「岩の入口に通じる階段」と思われます。この辺りでユングは劇的な精神体験をしたのでしょう。(※注意!本当にココかどうかは分かりません)
そしてこれが「岩の入口」。
この通路を経て、「仏歯」の収められた仏殿へと至ります。
こうやって改めて写真を並べてみると、「お釈迦様の口の中に入って仏歯に対面する」という感じがしないでもないですねえ。
この構造の神秘さに、世界的大学者の感性と直感が鋭く反応したのかも知れません。
ところで、私も当然のことながら、ユングと同じ道筋を辿ったと思われるのですが、「劇的な体験」は・・・
一切ありませんでした。残念と言えば残念、しかしながら妥当と言えば妥当。
という、ちょっと番外編的なお話でした。
【続く】
コメント
コメント一覧 (3件)
こんにちは。はじめまして。
通りすがりのものでございますが
密かに続きを楽しみにしておりました。
ユングのお話大変興味深く拝読させていただきました。
ふむふむなるほど〜
それとお休みが闇の中に…も、興味深く…
ただの普通の通りすがりのものです様
なんと、続きを楽しみにして下さっていたと!!
かたじけないお言葉、感謝申し上げます。
「休みが闇の中に…も、興味深く…」ですか・・・フフフ
温かいコメント、まことに有難うございました。
再びおじゃまいたします
ご丁寧なお返事大変恐縮でございます。
ありがとうございましたm(_ _)m
フフフ〜*\(^o^)/*