無辺際

淨寶寺の本堂には、白磁の聖徳太子像がご安置されています。高さ70〜80㎝くらいの立像で、豪華な装飾は一切ないものの、独特の存在感のある、気品溢れる静謐なお像です。 太子像立像

これを作製したのは、往年の陶工迦洞無塀(かとうむへい)氏。決して有名な作家ではありませんが、知る人の間では大変評価の高い芸術家です。昨日UPした、故藤秀翠先生の『開眼の夕』は、昭和2年の文章。誕生したばかりの太子像に対面した際の感激が率直に記されています。そこに虚言がないことは、実際の太子像を拝見すれば察せます。

太子像斜右上

私の母方の祖父(故人)は京都で学生をしていた頃、迦洞無塀氏の京都の工房に手伝い方々、よく遊びに行っていたそうです。夜寝る時、土間に並べられた焼き上がったばかりの作品が徐々に冷えていく、カランコリンという音。その心地よい音楽のような音色を聴きながら眠りに落ちていたそうです。

太子像左

 

祖父は迦洞無塀氏の作品を「無辺際」と称しています。迦洞氏の作品には作意のない誠にのびやかな自由さがある。シンプルな作風の中に、その自由無碍な作家の宇宙が広がっている、その様は何ものにも遮られることのない仏の大慈悲の光明のようだと。

藤先生も『開眼の夕』で、

「芸術精進の一路は無涯であり無辺である。」

と書いていらっしゃいます。迦洞氏の太子像から、祖父同様「無辺際」を感じていらっしゃったのでしょう。

そういえば、迦洞無塀氏のお名前も「無塀」ですね。

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『太子の像を作りて』−迦洞無塀−(昭和2年の寄稿)

ある日、諏訪先生(先代住職:諏訪令海)から青年会員や日曜学校生徒の礼拝像として、聖徳太子を作れよと命じられました。自分の手で出来たものを拝んでもらうということは、作家としてこれ以上の歓びはないのであります。太子様のお徳を慕いつつ、毎日土を付けていくうちに、尊いお像が出来上がりました。
窯に納めて三日三夜のあいだ、焔で取り巻きました。
火は土を浄化して、玉の如き太子様がお生まれになりました。
淨寶寺の内陣に安置して、藤(秀翠)先生、諏訪先生ほか数人で読経なさった時の私の嬉しさは、たとえ方もありません。
今まで私が太子様を作ったと思うていましたが、太子様が私を作って下さったことに気付きました。
私の心のありたけを太子様へ移したと思うていたのに、
太子様のお心のありたけが私の全体へ移っていて下さったのでありました。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めまして!お寺大好きなアラサーです(笑)近頃の教科書には聖徳太子は実在したか!?と書かれていると聞いたことがあります。かなり驚きました。そんな身も蓋もない・・・。というかロマンが無い。時代は変わりましたね;

    • みんさん、初めまして。コメントありがとうございます。
      聖徳太子の実在が疑われていることは耳にしていましたが、教科書でもそのような記述があるんですね。
      私もびっくりしました。
      しかし、親鸞聖人は聖徳太子のめぐみによって、阿弥陀仏の救いの法に出遇えたと慶ばれています。
      聖徳太子という歴史がなければ、日本に仏法は弘まらなかったかもしれない。
      そのことを考えると、たとえ歴史的に実在しない架空の人物であっても、仏法が今に伝わっている事実が、聖徳太子の存在を証明している・・・
      そんな風に思っています。

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