砂漠でダイヤ

本日、淨寶寺本堂で、初参式(しょさんしき)を執り行いました。

初参式とは何か?

簡単に言えば、赤ちゃんが生まれて初めてお寺にお参りする儀式です。が、その意義は実に奥深いものがあります。

人は人として生まれて来たことを当然のことのように思っているフシがありますが、本来それは極めて稀なことです。

環境省(平成20年版白書)によると地球上における生物種数は既知のもので約175万種、未知のものも含めると500万から3000万種にのぼるという説もあるそうです。175万から3000万って・・・数字の幅があり過ぎてかなりアバウトな感じは否めませんが、ともかく生命全体からすると、人間として生まれる確率は宝くじ一等当選並に極めて低いのです。そして、人間として生まれた中でも、仏教の縁に遇う人はさらに少ない。ですから、お寺にお参りするということは、よくよく仏法とのご縁が深いということなのです。まさに砂漠でダイヤを拾うようなもの。その遇い難い貴重なご縁に生まれてすぐに遇い得たことは、仏教徒にとって実に尊いことなのです。

この度はご家族二組、三名のお子さんが初参式を受式して下さいました。二組とも親自身が赤ちゃんの頃—ですから20〜30年ほど前になるのでしょう、淨寶寺で初参式を受けられたとのこと。その方々が自身親となられ、自らの子供を初参式に連れて来られる、それは何とも誇らしく輝かしい光景でした。

初参式【住職法話】

『仏様は慈悲の心でもって厭うことなく、我らを常に真実へ導こうとはたらいて下さっている。慈悲の悲は「悲しみ」であり「悲しみ」には「涙」が伴う。涙を流しながら仏様は我らを抱きとめ真実に叶わしめようと育んでくださっている。子育ては容易ではない。時には涙を流さざるを得ないこともあるだろう。しかし、涙を流すことを厭わないでほしい。その涙が子を育むのだから。』(文責副住職)

末筆となりましたが、初参式の準備、司会進行、挨拶、後片付けと、仏教婦人会有志の皆様には大変お世話になりました。心より厚く御礼を申し上げます。

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次