映画「ひろしま」

映画「ひろしま」(1953年)の上映会(7月15日、広島県立美術館地下一階)に行ってきました。

1955年ベルリン国際映画祭長編映画賞受賞作品。

当時、全国有名映画館での上映が決まっていながら、いくつかのシーンが問題となって興行側との折り合いがつかずに土壇場で中止。ほんの僅かな映画館でしか上映されなかったという幻の作品です。

原爆の惨禍、そして戦後原爆で受けた傷と原爆症で苦しむ人々の姿を描いた映画ですが、時代設定は1950年頃。原爆投下からたった5年後のことです。

驚くべきことに、その頃既に戦争・原爆は風化を始めていました。

映画では原爆症に苦しむ学生に叫ばせます。「新聞などは世界に向けて平和を訴えているが、それよりも先ず日本人に原爆の恐ろしさを、いやもっと身近なヒロシマの人に、いやこの教室にいるみんなに、先生に知って欲しいんです!」

如何に世間が原爆の後遺症に無理解であったか、容易に想像されます。

また、学校を中退し横道に逸れた原爆孤児の青年は、折角マジメに働き始めた工場をあっさり辞めてしまいます。なぜなら、工場がミサイルの部品を作り始めたからです。そのころ隣国では朝鮮戦争が勃発し、米軍への物資・兵器の補給地として、日本は特需を甘受していました。青年はいかなる意味でも戦争に加担したくはなかったのです。

この映画で最も特筆すべきことは、そのエキストラではないでしょうか。当時の広島市民約8万8千500人が無報酬で協力し、原爆の惨状を再現しました。その1953(昭和28)年は、原爆投下からわずか8年後。エキストラの中には実際に被爆された方が多くいらっしゃったということです。

そのためか、映像を観ると、話に聞いていた建物疎開、被爆直後に逃げ惑う人々の様子、建物の下敷きになった人々、防空壕や救護所での阿鼻叫喚、白黒ながら迫真の臨場感でもって描かれています。

迫真と言いながら、もちろん私は原爆被害の実相を知りません。ですから、ただ単に映像から伝わる迫力に圧倒されただけのこと・・・実際のことは想像すらつきません。

しかしながら、この映画を観たという、昭和20年当時中学生だった男性の話によると、戦時中の街の雰囲気や建物疎開の光景などはよく描けている、ということでした。

ひろしま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上映中、真っ暗な会場では、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえてきました。

人々が涙を流すような歴史を繰り返してよいはずがありません。

映画「ひろしま」は60年を経た今も、私たちが未来永劫、決して風化させてはならない「傷み」を強く訴え続けています。

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次