本日、とあるお寺の前住職様のご葬儀に参列させて頂きました。
御年90歳。
親鸞聖人のご一生と同じ年数であります。
これほどのご高齢になると、ご遺族の方々もご逝去やむなきことと諦観され、粛々と儀式が進行する場合が多いのですが、
このたびは参列者の絶えることのない涙で見送られたご葬儀でした。
故人が如何に慈愛を以て人々に接していたか。悲しみの大きさが物語っていました。
式のあと、世話人のご門徒の方が、前住職様との思い出を 挨拶の中で少しお話しされました。
前住職様は、戦後、昭和20年から5年間、シベリアに抑留されていたそうです。
囚人として非人道的な扱いを受けながら、極寒の中重労働を課せられる、そんな地獄のような生活の中でも決して忘れることがなかったこと・・・
「それでもね、お念仏だけは忘れなかったよ。」
そう仰られたそうです。
思うに、前住職様は「南無阿弥陀仏」の称名念仏を通じて、どんな苦境にあろうとも、阿弥陀仏の慈悲の光は常に自分に至り届き、包んで下さっていることを実感していらっしゃったのでしょう。
さらに言うならば、私の先に、阿弥陀仏が忘れることなく常にはたらき続けて下さるからこそ、前住職様はお念仏を憶念されたのだと思います。
そして、それが地獄を生き抜く支えとなった。
地獄を生き抜けるのだから、念仏が地獄を地獄でなくしたとも言えます。
前住職様は穏やかなご尊顔で物言わず横たわっていらっしゃっただけですが、大きなご教化を、有縁の方々の思いを通して、私にも届けて下さった。そんな風に受けっとっています。 
今日の午後はシャツ一枚でも過ごせる温かい日和でした。元安川沿いの平和公園の桜も満開で、川端はお花見の散歩客でにぎわっていました。





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