さて、世間は9月に入り、二百十日とはよく言ったもので、台風の影響による連日の雨天により、あの酷暑がウソのように冷まされて、肌寒ささえ感じる今日この頃であるにもかかわらず、今回も前回ブログに引き続き、設定は8月8日長崎。
上写真は、かの有名な「平和祈念像」。翌日9日「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を控え、式場の準備が着々と進められていました。
長崎平和公園内に捧げられた、無数の折り鶴。
ここは、「長崎原爆資料館」入り口です。因みに、祈念像から半キロほど離れた場所にあります。
展示は、非常に工夫を凝らした内容。
上写真のブースでは、実物大のジオラマや、実際の被爆物、映像などで、当時の廃墟と化した街の雰囲気が再現されています。
原子爆弾の熱線と炎で溶けたロザリオ。言葉を挟む余地はありません。
館内は、様々なテーマで展開されており、被爆の実相と核兵器の恐怖を切実に訴えています。
他にも惨禍を伝える展示物の写真をたくさん撮りましたが、以上に止めておきます。
資料館を出て、展望台に上がりました。市街地が一望できます。
下写真は、1945年10月中旬頃の同じ場所(上は、ちょっとアングルがずれてますが・・・)
いったい、どれだけの人が泣いたのでしょうか
資料館に隣接する「「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」。
展示はこの地下にあるのですが、電車の時間の都合で入館せずに先を急ぎました。
これで、長崎の8月8日は終わりにします。
それは大きな、大きな課題を与えられた、長い一日でした。
コメント
コメント一覧 (2件)
映画「ひろしま」からずーっと、たくさん丁寧な記事を書いて下さってありがとうございます。
分かり易く、熱い思いの詰まった、身近な立場からのレポートは、力強く、説得力があり、どこか他人事で、つらいことから目を背けていた原爆の問題を、考えるきっかけになりました。
無関心でいてはいけない。「知る」ということから始めて、広島に住む者として関心を持ち、ちゃんと向き合っていかなくてはいけないと感じました。
はじめまして。ご丁寧なコメント、感謝申し上げます。
人として生まれた以上、自分自身を含め「人って何だろう」という問題は、万人共が共通して抱えているものだと思います。
だからこそ、人類史上、人がもたらした最悪の暴力である「原爆」の加害と被害は、「人」を考える上で決して避けて通れない課題ではないか、そのように感じています。
「平和」を自覚することが、「戦争」のない状態であるとするならば、「平和」は「戦争」の惨禍の反省の上に成り立っているものでしょう。
ゆえに「戦争」そして「原爆」を忘れた未来の見通しは、人が本当に求める幸せとは、ことごとく間違った方角に向かうと考えています。
私の拙いブログの内容以上のものを感じて下さったことに、ただ頭が下がります。
「ちゃんと向き合っていかなくてはいけない」
その通りだと、改めて反省しております。
ありがとうございました。