「聞く」

【淨寶寺 寺報『淨寶』第541号 2013(平成25)年10月1日号より】

「聞く」 

 お経の最初は必ず「如是我聞」又は「我聞如是」で始まります。「このように私は聞いた」との意味ですが、私というのはお釈迦様のお弟子のこと。そして誰から聞いたかというとお釈迦様です。ですから経典というのは、お釈迦様がお話された言葉のみを指し、それ以外は経典とはいいません。たとえば『正信偈』は、親鸞聖人の書かれたものですから、お経ではなく偈文と呼びます。
 では、なぜお経は、「このように私は聞いた」と始まるのでしょうか。
 お釈迦様の時代(BC6世紀頃)、既にサンスクリット語などの高度な文字文化が印度にはありましたが、お釈迦様はご自身の説法を文字にされることはありませんでした。なぜなら印度では大切な教えは口伝で伝承されるという習慣があり、一方で仏教は文字で言い尽くせるような単純な教えではなかったため、文字にとらわれることを嫌ったという面があるからです。。そのため、お釈迦様がお亡くなりになると、弟子たちの間で記憶違いというものが生じ、み教えの受け取り方に、だんだんと違いが目立つようになってきたそうです。
 このままでは、折角お釈迦様が説かれた尊い教えが損なわれてしまいます。将来を危惧した長老たちは、主だった弟子を集めて、意志の統一を図ろうとしました。
 これを「結集」と言います。500人の弟子たち(五百羅漢)が一所に集まり、夫々が自ら聞いたみ教えを語りました。この時「私はこのように聞いた」と話し始め、他のお弟子との記憶や受け取り方と違いがあれば、異議を申し立て、協議をして、「お釈迦様の、このお説法は、このように皆で統一しよう」と申し合わせを行ったのでした。

 後世、その申し合わせがそのまま文字化されたため、仏典は「如是我聞」―わたしはこのように聞いた―と、始まるようになったのです。
 ところで、この結集で大活躍したのは、アーナンダ(阿難)と言われるお弟子さんでした。アーナンダはお釈迦様がお亡くなりになるまで、25年間身の回りの世話係を勤めました。ですから、最もお釈迦様の説法を聞いた人です。後に、釈尊十大弟子に数えられ、「多聞第一」と称されました。
 アーナンダがお釈迦様の説法を再現して皆に聞かせると、聴くものは、仏陀が復活されたのではないか、或いはアーナンダが仏陀になったのではないか、そう勘違いしてしまうほど、アーナンダの説法はあまりに真に迫っており、皆感涙にむせんだということです。
 アーナンダは500人のお弟子の中で一番最後に悟りに至った人物でした。あまり修行のほうは出来が良くなかったようです。しかし、聞くことにかけては、他の追随を許さない多聞の人でありました。そして最終的には、お釈迦様の再来かと思われるほどの説法をモノにしたのです。徹底的に聞くことによって、アーナンダは仏様のお心をいつの間にか頂いていたのでしょう。
 人間の口は一つ、耳は二つです。浄土真宗も「聴聞に始まり聴聞に終わる」と言われるほど聞くことに重きを置きます。どうぞ「聞く」ということを大切になさってください。

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