「淨寶」復刻版– category –
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曽我量深
如来の存在と未来の意義(2)ー曽我量深ー【講演断片】
【淨寶 1928(昭和3)年3月1日発行分】 如来の存在と未来の意義(2)ー曽我量深ー〈講演断片〉 過去、現在、未来の三世に二通りの考え方がある。 A 過去、現在、未来の次第 B 未来、現在、過去の次第 Aは普通業感の三世で、業因によって結果... -
曽我量深
如来の存在と未来の意義(1)ー曽我量深ー【講演断片】
【淨寶 1928(昭和3)年3月1日発行分】 如来の存在と未来の意義(1)ー曽我量深ー〈講演断片〉 宗教の名はついていても、多くの宗教は外に求める宗教である。真宗の信者であるという人でも、信心である、本願である、おたすけであると言葉だけは... -
諏訪令海
おまかせの生活(2)ー諏訪令海ー
【淨寶 1928(昭和3)年2月1日発行分】 おまかせの生活(2)ー諏訪令海ー この「如来さまにおまかせする」という真宗の信仰は、ちょっと聞けばすこぶる簡単で如何にも安っぽい信仰のように思う人もありますが、決してそうではありません。これ... -
諏訪令海
おまかせの生活(1)ー諏訪令海ー
【淨寶 1928(昭和3)年2月1日発行分】 おまかせの生活(1)ー諏訪令海ー それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。 しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に... -
諏訪令海
慈善に対する反省(2)ー諏訪令海ー
【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】 慈善に対する反省(2)ー諏訪令海ー 一昨年の暮でありましたが、年の市の賑わいで雑踏している街中を「救世軍慰問品」と貨物自動車の後ろに大書して、餅やらみかんや炭などを沢山積み、その上に男女の救... -
諏訪令海
慈善に対する反省(1)ー諏訪令海ー
【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】 慈善に対する反省(1)ー諏訪令海ー 奈良女子高等師範学校では、去る一日、桑野教授引率のもとに、家事科四年生40名余名をして、大阪今宮の細民窟を視察せしめたが、桑野教授は視察の目的を説明して「... -
境野黄洋
大乗仏教は活動主義なり(6) ―境野黄洋―
【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】 大乗仏教は活動主義なり(6) ―境野黄洋― ●「法然聖人と時代の欲求」③ 「あの全盛の平氏が、昨日今日に斯くなろうとは」というのは、すべての人の感じであったでありましょう。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の... -
境野黄洋
大乗仏教は活動主義なり(5) ―境野黄洋―
【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】 大乗仏教は活動主義なり(5) ―境野黄洋― ●「法然聖人と時代の欲求」② 平清盛は、保元の乱の功により、安芸守より転じて播磨守となり、更に太宰第貳に移り、平治の戦功があったので、弟の経盛は、伊賀守、頼盛... -
境野黄洋
大乗仏教は活動主義なり(4) ―境野黄洋―
【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】 大乗仏教は活動主義なり(4) ―境野黄洋― ●「日本仏教の特色』 特に私がここに申し添えておきたいのは、大乗仏教という中でも、「殊に活動主義の仏教は、日本仏教の特色である」ということであります。日... -
藤秀璻
「開眼の」夕 ー藤秀翠ー
【淨寶 1927(昭和2)年12月10日発行分】 「開眼の」夕 ー藤秀翠ー 迦洞無塀氏の製作せられた聖徳太子の陶像の開眼の集いに招かれて、月の十七日の夕、浄寶寺に赴いた。如来の寶前に端然として立ちておわす白磁の神々しい太子像の前に人々と共に跪座... -
新宅博雄
柳宗悦氏の宗教論と他力救済 ―新宅博雄―
【淨寶 1927(昭和2)年12月10日発行分】 柳宗悦氏の宗教論と他力救済 -新宅博雄- 柳宗悦の思想は講座、その他の雑誌にも発表せられましたが、著書としては、「宗教的軌跡」、「宗教とその真理」、「宗教の理解」、並びに「神について」の四... -
境野黄洋
大乗仏教は活動主義なり(3) ―境野黄洋―
【淨寶 1927(昭和2)年12月10日発行分】 大乗仏教は活動主義なり(3) ―境野黄洋― ●「各宗祖師の生活」 独りお釈迦様ばかりではない、各宗の祖師、どなたの事績を調べましても一人として活動主義の体験者でない人はないと言っても差支えないのであ...