「淨寶」復刻版– category –
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足利淨圓
講演断片(2)歎異抄に就いて-足利淨圓-
【淨寶 1927(昭和2)年10月10日発行分】 講演断片(2) 歎異抄に就いて -足利淨圓- ※この断片は第三回特別講座(昭和2年5月28・29日)のお話を載せたのであります。全く先生の校閲も経ないものであることをおことわり申します。諏訪令海 帰命は宗... -
足利淨圓
講演断片(1)歎異抄に就いて-足利淨圓-
【淨寶 1927(昭和2)年10月10日発行分】 講演断片(1) 歎異抄に就いて -足利淨圓- ※この断片は第三回特別講座(昭和2年5月28・29日)のお話を載せたのであります。全く先生の校閲も経ないものであることをおことわり申します。諏訪令海 歎異抄に... -
境野黄洋
必然と偶然(2)―境野黄洋―
【淨寶 1927(昭和2)年10月10日発行分】 「必然と偶然」(2)―境野黄洋― 人は与えられた運命以上にも、また以下にも行けるものではないのです。故に人は、努力の最後に逢着(ほうちゃく)した、どうすることも出来ぬというハメに行ったら、そこは、喜... -
境野黄洋
必然と偶然(1)―境野黄洋―
【淨寶 1927(昭和2)年10月10日発行分】 「必然と偶然」(1)―境野黄洋― 前世の約束など言うことを申したならば、今の新時代の教育を受けた人々は、随分古めかしいことを持ち出したと思わるるでありましょう。何だか、古い講談本にでも出てきそうなこと... -
新宅博雄
救済の宗教(2)―新宅博雄―
【淨寶 1927(昭和2)年9月1日発行分】 救済の宗教(2)―新宅博雄― ●救済の体験 われなくも法はつきまじ和歌の浦 あをくさびとのあらんかぎりは これは、親鸞聖人がお亡くなりになる少し前、伊勢の西念房に与えられたお歌である... -
諏訪令海
堪忍―諏訪令海―
【淨寶 1927(昭和2)年9月1日発行分】 「堪忍」 京都を中心に新しい信仰生活の一団を組織して、今日では日本ばかりでなく、世界の精神界にまで異常の刺激を与えていられる有名な先生がおいでになりますが、ある年のこと先生が鳥取県下に講演をしてお周... -
新宅博雄
救済の宗教(1)―新宅博雄―
【淨寶 1927(昭和2)年8月1日発行分】 「救済の宗教」(1) ●人間について(宗教的主体の問題) さきに救済仏について述べた(※1)ので、今回はその救いの一要素たる人間について考えることとする。一体人間の本性は善いものであろうか、悪いものであ... -
諏訪令海
我が子の恩―諏訪令海―
【淨寶 1927(昭和2)年8月1日発行分】 「我が子の恩」 ◆高師仏教青年会講演の一節◆ 昔から「子をもって知る親の恩」ということをよく申しますが、私は我... -
諏訪令海
私たちはこの世へ何しに生まれて来たのでしょう-諏訪令海-
【淨寶 1927(昭和2)年4月1日発行分】 「私たちはこの世へ何しに生まれて来たのでしょう」 ◆日曜学校(※1)追弔会講話(昭和2年3月10日)◆ 淨寶日曜学校と言えば、すぐ童話劇「浦島... -
諏訪令海
「問と答」-諏訪令海-
【淨寶 1927(昭和2)年4月1日発行分】 「問と答」 私がかつて光道学校(※1)を訪ねました時、松本先生(小学校教員)は何か熱心に、生徒のしらべものをしておられました。のぞいて見ると綴り方(※2)らしい。 「どうです、面白いのがありますか。そ... -
梅原眞隆
真宗学十回講座(第10講)②-梅原眞隆-
【淨寶 1927(昭和2)年3月1日発行分】 「第10講 浄土真宗の社会的考察」② 第三の菩薩道。これは純粋修道の規範で、自利利他、自覚覚他、自分独りを利するばかりでなく、地上における最後の一人までも救われる世界を内容とした救いであります。自分... -
梅原眞隆
真宗学十回講座(第10講)①-梅原眞隆-
【淨寶 1927(昭和2)年3月1日発行分】 「第10講 浄土真宗の社会的考察」① 我々は社会的生活をするには、どんな生活が最も感じのよい生活でしょうか。 それは、すべての人がのんびりと素直に生かされて行く生活でありましょう。自分は他人の邪魔を...