必然と偶然(2)―境野黄洋―

【淨寶 1927(昭和2)年10月10日発行分】

「必然と偶然」(2)―境野黄洋―

 人は与えられた運命以上にも、また以下にも行けるものではないのです。故に人は、努力の最後に逢着(ほうちゃく)した、どうすることも出来ぬというハメに行ったら、そこは、喜怒哀楽を離れた安住がなくてはならない。エライ位置に進んだ、オレは大臣となったとか、ヤレ一躍幾百万の富を得たとかいうと、どうもすると、オレはエライと思う。それは俗人の人情でありますが、しかし、それは自己誤解です。エライから大臣になれるのでも、富豪になれるのでもない。それは与えられた運命にぶつかった人のことです。自分で自分を買い被ってはいけない。これと同様に悲境に陥っても、生涯浮かぶ瀬がなくとも、それは自分がつまらないからではない。どんなにエライ人でも、与えられない運命は、つかむことが出来るものではない。この道理を悟れば、運命に安んずるものには、悲喜の拘束はない。安住地に立てば、首を斬られても、笑っているだけの別個の境地があるはずです。

 しかし、この運命という言葉は、あまり天地の理法を無視した言葉です。何となれば、宇宙間には、どんな大なる現象にも、どんな小さな事実にも、偶然ということは絶対にない。運命という言葉は、偶然ということを露骨に表明している者です。偶然ではない、我々の自由意志の予期を超越しているが、必然です。因果必然です。さらば私共が貧乏人のわらの上に生まれたり、錦の上に呱々(ここ)の声を放ったりするこの運命は、どんな必然の理由に基づくのでしょう。生まれる時ばかりのことではない、我々の生涯には、こういう類いの必然の絆が、生涯に絡みついて、我々の五十年の一生を左右してます。何の理由があるのでしょう。こう考えた時に私は何の理由だかは知りません。例えば、どんなわけがあって、甲は貧乏人のコモの上に生まれ、乙は富豪の錦の褥(しとね)の上に生まれましたか、それは私には分からないが、何かそう生まれて来なければならない理由があり、原因があったのでしょうとだけは、明に言い得ると思います。即ち原因があってこの結果を見たので、決して偶然ではない。これを運命と言ったのでは物足りない、因縁だと申すのです。因縁というのは、過去の原因に基づき、この原因をして結果を成熟せしむる四囲の事情ということです。この因縁だということは、昔から言う前世の約束事ということではありませんか。前世なんというものが果たしてあるだろうか、そんなことが誰にわかるものですか。何か証拠らしいものでもあるか?あるものですか。しかしそう考えるより考え様がないではありますまいか。私はこうして、運命を信じ、いや因縁を信じ、因果の法則が我々を支配しているということを信じております。

 仏教では、この因果の法則が人間の上に行われていることについて、順現業、順次業、順後業ということを申しております。この世で為した行為に対し、この世で報いられ、結果の現れるのが順現業です。これは誠に明瞭なことで、我々は、現にこういう事実をいくらも見ているのでありますから、ここに多くを言う必要はない。しかしこの世の行為総てが、必ずしも皆この世で報いられていないことも、現見の事実であります。故にこの結果は、必ず次ぎの世以降に報いられなければならないというので、順次業と順後業ということが言われているのです。順次業は、この世終わって次の世で報いられることで、順後業は、次の世を終わり、その次の世以降の世に報いられるということです。しかし、これも前の世と同じことで、次の世というものがあるか無いか、そんなことは誰にも分からず、何の証明があるものでもない。ただ因果必然の理法が人間を支配しているならば、即ち今日我々が説明の出来ない、予期の出来ない、多くの運命に遭遇している、この運命なるものが、必然の因縁であるならば、現世と後世にもこの因縁関係、即ち因縁の連絡があるべきであるという推論に基づく説明に過ぎないのであります。

 最後に一言注意までに付け加えておきますが、仏教でかくの如く三世因果の理を説くのは、世界の存在、人世の存在を説明する、当然の理を述べているので、必ずしもこれによって、勧善懲悪の意のみと解してはならないのです。もし勧善懲悪の意味があるとすれば、それはほんの付け足しの方便の意味で、この三世因果論の根本の意義ではありません。なぜかと言うに、人の道徳上の行為は、そんな結果を望んで、功利的な意味で行うべきものではない。道徳は取引関係とは違います。仏教の道徳観は、そんな功利的道徳説ではないからであります。世間には往々ここに、古い迷信的伝説による誤謬(ごびゅう)と誤解がありますから、ちょっとこれを弁明しておく必要があると思います。
                    

                        (了)

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