千年

あるご住職が、お寺の会合の挨拶で、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti1901〜1966、スイス、彫刻家)の言葉を引用されていました。

「あと千年あれば、もっといいものが出来る!」

そう呟きながら、ジャコメッティは創作に励んでいたそうです。

2500年の歴史を誇る仏教を受け継ぎ伝える我々も、そんな大きなスパンでの視野が必要ではないか・・・ご自身画家でもあられるご住職ならではのお言葉でした。

留学先のフランスで、ジャコメッティと親交を結び、たびたび彼の作品のモデルとなった矢内原伊作(哲学者)は、その著書で彫刻家の創作の現場を生々しく記しています

=来る日も来る日も彼は試してみてはこわし、こわしてはまた試みた。毎日午後二時頃から始めて、ほとんど休みな仕事を続け、夜の十二時ごろ、もう手を動かすことも立ちあがることもできないほど疲れきって一日の仕事を終えるとき、彼はきまってこう言うのだ。「今日はずいぶん進歩した。しかしまだまだ全部が嘘だ。実際の顔はこんなものではない。明日こそは、少しは正しく描くことができるだろう。早く明日になればよい。畜生!」と。=(『ジャコメッティ』矢内原伊作 みすず書房1996)

「はやく明日になればいい!」

芸術家の、精根尽き果てアトリエを離れる姿が、畏敬の念を以て描かれています。

告白するまでもなく、私は千年先のことを考えたことがありません。
そればかりか、百年先も、もう確実に死んでいるだろうから関係ないや、と想像すら試みたことがありません。
五十年先、もしかしたらまだ生きてるかも知れないけれど、それでも具体的に思ったことはありません。
せいぜい、十年先・・・いや、数年。。。

千年という時間を意識したジャコメッティ。それは空想ではなく、創作する手が導き出した時間。

千年後、ジャコメッティの未完の作品をみる人は、果たして何を感じ得るのでしょうか。

 

五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし ー親鸞聖人 正像末和讃ー

 

 

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