スリランカ滞在記(8)

スリランカ滞在記、場所は未だに古都アヌラーダプラ。

私達は菩提樹が生い茂る林へやって来ました。IMG_6355_1600

菩提樹の木陰で人びとが憩っています。

ここは「スリー・マハ―菩提樹」の聖地。

今から2300年ほど前、インドのブッタガヤから菩提樹が枝分けされました。その菩提樹はお釈迦様が悟りを開いた場所。植樹された菩提樹は枯れることなく育ち、スリランカの人びとの信仰対象となりました。その様子は紀元五世紀前半、経典を求めて単身やって来た、中国の僧、法顕(ほっけん)三蔵「仏国記」に記されています。

法顕三蔵は60歳過ぎてから、お経典を求めて11人の仲間と共にインドへ旅立ちました。砂漠や山脈、数々の苦難を乗り越え、お釈迦様の聖地に辿り着いた時の一行は法顕含め僅か二人だけ。その仲間も、本場インドに残って修行したいと希望したため、法顕唯一人がスリランカを訪れ、その後海路で遭難の憂き目に遭いながらも故郷へと生還することができたのでした。足かけ15年。齢70代半ば。帰ってからは専ら経典の翻訳に努め、八十半ばまで生きたということです。

怪物・・・言葉がありません。

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事前にそんな知識があるものですから、かなりテンションが上がります。樹齢2300年というその菩提樹は、お釈迦様と法顕三蔵とに直接の因縁を持っているのです。まさしく仏教の聖地。

ゲートをくぐって菩提樹へと向かいます。ゲートはなぜか男女入る場所が厳格に別れており、それを見張る監視員も二、三人いました。入る時はもちろん裸足です。

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出ました!あの石壁に囲われた中に、スリー・マハー菩提樹がそびえ立っているのです。

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階段を上ります。イスルムニヤ精舎と同じ様に、やはり階段の前には魔除けの半円陣と立像が両脇に配置されています。

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あの菩提樹がそうでしょうか。とにかくここは外も中も菩提樹だらけ、どれが本物のスリー・マハー菩提樹か分かりません。

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石壁の周辺には白服(寺院など聖地に入る時の正装だそう)を着用したスリランカの人たちが熱心に手を合わせ、経文のようなものを唱えていました。また車椅子の人など、病気の方々も多くここに訪れているようです。

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ぐるっと一回り、最後の角のところにありました!金の棒で支えられている細い枝(赤枠の中)こそが、スリー・マハー菩提樹!樹齢2300年の割には細い枝振りです。

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その足元には沢山の布、そして日本のおみくじのように紙が結ばれています。恐らくそれらには切なる願い事が書かれているのでしょう。

ガイドさんによると、本家インドブッダガヤの菩提樹は後に枯れてしまったとのこと。そこで枝分けした、このスリー・マハ―菩提樹から更に枝分けしてもらって、今無事葉をつけているそうです。ですから、お釈迦様がお悟りを開かれた菩提樹で最も古いものは、この菩提樹なのです。

2300年という樹齢からか、スリー・マハ―菩提樹はとても繊細で、枝分けも中々成功しないそう。同じスリランカの寺院でも、枝分けが無事できたのは二、三の寺院に過ぎないということです。

ふと地面を見ると何枚か、菩提樹の葉が散っていました。もしやこれは・・・と思い拾ったところ、ふとガイドさんと目が合いました。

「この菩提樹は年に2回しか散らナイヨ。」

折角、葉っぱを手にしながら、仏法悠久の歴史に思いを馳せ、ロマンに浸ろうと思ったのに・・・

ガイドさん、時にはガイドしないことも、良きガイドになるんですよ(涙)

(続く)

 

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • スリランカで法顕さんの行かれたお寺を検索していてこのブログにあたりました。
    丁度2015年の9月19日から26日までスリランカを旅行していました。シーギリヤとキャンディしか知らず1週間だけですがコロンボからアヌラーダプラ行きの列車が駅で待っていると突然運休し、ブッタマラまで別路線の鉄道で行き一泊、翌朝バスでアヌラーダプラに向かいました。この旅で一番感動したのはダンブッラの石窟寺院の天井画でした。

    また時間をかけて読ませていただきます。ちょうど同じ時期でしたのでこれも何かの縁とカキコミさせていただきました。

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