大無量寿経について(9)ー臼杵祖山ー

【淨寶 1928(昭和3)年5月10日発行分】

大無量寿経について(9)ー臼杵祖山ー

 

之について大無量寿経と観無量寿経を照らし合わせてみますと、大経は弥勒菩薩の完全を人格者、即ち聖者が、主観的に自己を凝視したときに、全く自分は展転五道有為勤苦の腕然たる凡夫であると見られた時に、初めて凡夫往生の本願が顕甞されたのである。それは他からお前は悪人凡夫だから聞かねばならぬ、信ぜねばならぬと気を付けられたことによって、ああ左様かと自分を外在的対象的に見照したのでは駄目である。そこに至れば弥勒菩薩も善導大師も、全く落第者であり、無失格であって、何物をも持たない虚仮不実の空洞であります。その空っぽであるが為に、如来他力の信ぜしめ賜う本願のままに引導される幸福を得られたのである。私達の真宗では、よく仏を客観的実在とし、他宗では主観的内在として見るものが多いように聞きますが、一体かくの如く粲然と判別が出来るものでありましょうか。ということが一つ。また言うて居らるる左様なことが真宗としての本義でありましょうかということが一つ。元来私達は一つの名言を聞きますと、すぐそれに束縛されるというか、纏綿するというか、彼方からというか此方からというか、へばりつく習癖があります。いわゆる有相執着の概念に囚われるとでも申しますか、主観といい客観といい、供に一種概念表示の言詮であります。事実的にしかし、孤立せる主観というものが又客観というものが存在し得らるるものでありましょうか。一体私達というものは、その時代時代の表現語を事大思想的に誇張して、そうして自己の意志を発表することを快事とするようなことに囚われているものではないかと思われます。左様な見地に立て見照しますときに、主観客観とか内在外容とか言えることは、意義をなさないことであって、畢竟遊戯化された概念の幽霊である。徒らに遊戯化された概念の主観客観などは、自照凝視の見地に立てば生命なき偶言であり、偶像であります。私達は更に思わされますことがある。いわゆる概念表示の言詮を仮借して言いますならば、むしろ他宗こそ徒らに自己の偶言的主観の上に眺めるのであるが、その実一種の妄想に陥っている。それは単に理証門においては頗る主観の力用偉大なるを感知せしめらるるようであるが、それだけでは実際に円満成就し得られずして、行証門の一科を開き、一念頓悟を皇張しながら、事実においては万劫漸得の悲哀を感ぜざるを得ないのであります。ここにおいてか親鸞聖人の信甞された自照の内容は客観的に見える天上の月を親しく近く自己の痕下の影法師において主観的に見るという底の心象である。その幽冥暗澹影法師、わゆる智目行足かげたる凡夫願体戒手のかなわぬ衆生と言える最も哀れむべき自分の上にこそ、至心廻向せしめたまえる機法一体仏凡不二主客超越の信仰を獲得せしめられるのである。

一般に真宗と言う範囲内においては、内容的には別として諸善万行を修して、至心発願欲生するとか、又は一行念仏を行して至心廻向欲生するとか言えるような荒い自力はあるまいが、仔細に検尋すればそれらの自力執着よりも、更に更に微細綿密、特に精錬された至極念入りの、即ち聞かねばならぬ信ぜねばならぬという、言詮に引きまわされて謬られた、聞其名号信心歓喜という自力執着の根が蔓延っている。しかるにこのいわゆる他力の聞信の名言に執着せる児r期の聞信者は、常に諸善万行なり、善本徳本の名号称念の行などは中々難いのであるが、ただ独り聞くだけであり、信ずるだけであるから容易であると思われるが、それは大変な間違いであると考えられるのである。一般のことが皆左様である。例せば、親に対しても、その他の誰人に向かっても、身の振る舞いや口のあやなしは何とか取り繕われるが、心の思い遣りは中々容易ではない。蓮如上人が、

「くちと身のはたらきは似するものなり。心ねがよくなりがたきものなり。涯分心の方を嗜み申すべきことなり。」

と仰せられたるは、最も尊いことであります。私達の習わせとして、口では「全くあなたの言われる通りになりましょう。」と言うているが、心では、「なにお前らの言うようになられるものか。」と中々心の頭はさげない。丁度その通り信仰は易いとあなどる処には決してその信仰の易さがわかるものでない。私達には信仰に対する敬虔の心が出来るものでしょうか。それはただ経典の文句や説教の言葉を覚えただけではないのか。もし左様だとすれば、極言するようではありますが、経巻を喰う虫を見たようなものである。

親鸞聖人は聖道自力の修行にも、修諸功徳にも落第して及び難き身なるを自照せられた時に、初めて開けた世界が。「至心に廻向せしめたまへり」という本願の世界であった。自分で聞き得られ信じ得られる人たちには、この「せしめたまえり」という世界はないのである。

ー(10)へ続くー

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次