家庭本位・信心本位 -大内義直-

【淨寶 1927(昭和2)年11月15日発行分】

家庭本位・信心本位 -大内義直-

 

 親鸞聖人の宗教と言えば、難しいようでありますが、その特徴として、その最も大切なものと言えば、先ず、第一に自力方便主義ということと、在家止住主義ということであります。自力方便主義ということは、他力をもって真実となす信心為本のことで、在家止住主義ということは、家族本位の宗教ということであります。それ故、約(つづ)めて言えば、一つには信心本位、一つには家族本位の二つとなるのであります。

 これはただ親鸞聖人の宗教の特徴のみでなく、遠く教主釈尊を始めとし、我が祖国の教主聖徳太子の宗教をも一貫したもので、その根本の主義が親鸞聖人に至って初めて発達の極度に達したものであると言えるものであります

 インドでは、常時、階級制度が非常に厳重で、四姓の差別は神聖にして犯すべからざるものであったのですが、釈尊は平等主義を称え、この階級的差別を平等にするのが急務であると考えられ、ここに差別を平等にし、社会の平和を維持せんとせられたのであります。

 この考えが日本に入った時は、聖徳太子は、形式を考える暇もなく、ただその根本の仏教の真精神を入れねばならないということに力を込められ、戒律、儀式の末を考えず、外形を捨て、内容をとられたのです。それで、日本において、僧俗平等ということを実現せられ、ご自身は俗にありがながら、三衣を着して法華経の講義をせられ、ご自身には妃も子もあって、摂政として、太子として、国政を料理せられて、政教平等の主義を行われました。それ故、太子が常に尊崇し講説せられ、その義疏(ぎしょ)まで書かれたお経を見ても、その意が表れているのであります。すなわち法華経を以て僧生活の理想を教えられ、勝鬘経(しょうまんきょう)を以て婦人生活の理想を教え、維摩経(ゆいまきょう)を以て、居士生活の理想を教えられた。この三経によって一乗主義の純粋大乗を日本に植えられたもので、太子の人格にあらわれたのは、僧俗平等主義の上に婦人も加えられて、僧俗婦人平等をお唱えになったのであります。これは釈尊の宗教が四民平等であった当時の習慣上、婦人は平等でなかったものに一歩を進められたものでありまして、親鸞聖人の至って更に、それが一段進んで、どれ程僧俗婦人の平等主義は、その極、家族を本位として平等主義を主張せられ、山の宗教を市の宗教とせられ、寺院の宗教、僧侶の宗教を「人間の宗教」とせられたところに親鸞聖人の宗教の徹底があると思うのであります。

 仏教において合掌することは大切な敬礼の一つになっております。十指を合わせて一つとなし、胸辺に立つれば、自ら精神も統一せられ、身心共に端正になることを感じます。しかし少しでも理想の乱れることを感ずる時は、合掌も正しく出来ぬことが往々あります。人間同志がお互いに、なつかしい心持ちで一つになりたいと思いながら、自分の心に毒せられて、中々一つにはなれない悲しさ。懐かしい親子、夫婦の間でさえも中々思うようには一つにはなれません。しかし、親子、夫婦が、本当に本然の姿にたち帰って、お互いに懐かしみ、愛し合う心持ちになって、真実の心を保たせて頂くことは、ただ一つみ仏の前に静かに跪(ひざまず)いた時、不思議に怨み、憎み、恐れる心は散じて、限りなき慈雨に浴し、自ら心の端正になることを覚える。宗教は人間に限りなき心のあたたかさを与う。

 世には愛する自分の愛子のために、金銀財宝を遺さんとして日夜心を砕く者は多い。しかしながら、永遠に滅びざる信仰の実を我が愛子に与えんとする者は少ない。

 この根本の生命としての実を与えることを忘れるならば、折角の金銀財宝は、寧ろ、愛子自らを苦しめる糧となります。

 かく考える時、在俗の生活の中に転法輪(てんぼうりん)の姿を見、家庭を中心として親子睦まじく集い、み仏の前に合掌して道を求めるということが、本当にどれ程、尊いことでありましょう。

 

                                  ―(了)―

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