不良青少年の問題と難波大助の告白(2)―諏訪令海―

【淨寶 1927(昭和2)年11月15日発行分】

不良青少年の問題と難波大助の告白(2)―諏訪令海―

 

 東京の植田少年審判所長のお話に、今上陛下がまだ東宮殿下でおいでになった時、殿下に対して恐ろしい行為をした難波大助を入獄中に三度訪れて、彼があのような恐ろしい心持ちになった原因を色々と尋ねてみたが、彼が死刑になる二日前に、

「先生、家庭がつめたくてはだめですよ。」と如何にも淋しそうに、独り言のように言ったそうであります。

 子にとっては、いよいよという最後には、どんなことがあっても自分を許し迎えてくれる、温かい家庭があるという信念こそは、即ち彼のすさみがちな心を温め、和らげて、如何なる困難をも忍び、暗いどん底から彼を救いだす唯一の光であり、力であります。

 彼の故郷には大きな邸宅と沢山の田地を所有している親はあったそうでありますが、家庭は不和で、彼にとっては冷獄に等しいものであり、最も温かく親しむべき者をさえも、呪わずにはいられないという、可哀相な境遇にあったそうです。最後のものから見放された彼は、家庭を呪い、親を呪い、やがては世の中の総てのものを呪わずにいられなくなったのでありましょう。彼は自然、何者に対しても温かい心を持つことが出来ず。何事にもやぶれやけの心に流れて、遂に救うことのできぬ恐ろしい淵に落ち込んだのであります。

 これは決して遠いよその話ではありません。人間は実に危ないものであります。我々は自分の内に深く省みなければなりません。

 我々は今、日々の日暮しの内に、互いに親しむべき者に親しみ、温かい心で互いに手を取り合っているでありましょうか。もしや親しむべき者と冷たい白い眼で睨み合い、心の中で互いに傷つけ合うことがありはしないでしょうか。上は何とか人間らしい体裁をつくっておりますが、とかく内心は恐ろしい苦闘、争闘を続けているのではないでしょうか。難波大助に温かい家庭がないために救われなかったように、私たちの浅ましく恐ろしい心にも何らの自覚もなく、またそれを受け容れて温め、育んで頂く心の家庭がなかったら、到底浮かぶ瀬のない暗い淵に陥らねばならぬでありましょう。

 これを思えば、単に青少年のためばかりではなく、お互い、親子、夫婦、兄妹一家そろって、みほとけさまの温かいお慈悲と、明るい真実の智慧の前に自己を内省させて頂き、尊い合掌の生活を送らせて頂きたい念願をもってやまぬのであります。

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 今日まで皆さんの御後援によりまして、経営しております、淨寶仏教青年会、同婦人青年会、同日曜学校の事業は、実際の効果から言えば、会員や生徒たちの一部を、せめて悪い方へ陥らぬようにするというだけでも、やれ悪い者ができたと驚いて、何十万円という設備と数万円の経常費を費やして、しかも中々思う様な成績が得られぬというて悩んでおられる、あの大きな感化事業にくらべて、勝るとも劣らぬ大事な尊い事業であることを切に感ずるのであります。

 今では左の事業をしておりますが、何分にも会場が在来の建物へ少しの改造を加えただけでありますから、ピンポンや音楽の練習をすれば、折角相当の図書がありながら落ち着いて読書が出来ず、日曜日の午前中などは、二階に二室と下に二室、それに本堂との五か所で日曜学校の分級教授をし、奥の離れ座敷では、婦人青年会のお茶のお稽古があるというように、家中を使っても、まだ各部が不便で思う様に発展することが出来ないというような窮状であります。

 ここに有志の方々の力を得て、大事な尊い事業が十分に発展することができるように「会館建設」を発起して頂き、一日も早くこの念願を成就さして頂くよう、諸兄姉のご援助を伏してお願いする次第であります。

                       ―了―

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