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スリランカ滞在記(38)

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スリランカの古都、キャンディに到着した我々一行は、なぜか古都らしからぬ場所、ピザハットの二階へと連れて行かれたのでした。

ガイドさん、どうしてピザハットなんですか?

ガ「フフフ、ここからよく見えるネ」

何が見えるんですか?

ガ「もちろん、ペラヘラ祭りヨ」

ペラヘラ祭り・・・

その字面からすれば、「ペラペラ」と「ヘラヘラ」の融合体ではなかろうかと思われます。

無論、「ペラペラ」は、物理的にも精神的にも薄っぺらいことを表し、「ヘラヘラ」は場に似つかわしくない、感情を逆なでするような笑みを浮かべている状態を表します。

内面ペラッペラの浅はかな人間がヘラヘラしてる・・・

その祭り・・・

一体どんな光景が繰り広げられるのか想像すらつきません。

しかしながら、先ほどの道路の混雑、そして歩道に陣取った人々の群は、どうもその「ペラヘラ祭り」が原因とのこと。その脱力系の名前に反し、かなり大規模なお祭りであろうことが推察されます。

開始は日が沈んでから。まだまだ時間があります。我々一行は、ピザハットから徒歩二、三分のところにある、スリランカの魂とも言うべき「仏歯寺」の拝観へと向かいました。

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一階に降りると、更に人が増えており、文字通り掻き分けるようにして道路へ出ます。

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ほどなくして、「仏歯寺」の境内に到着。

そして、入ってビックリ!

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象がいるではありませんか!しかもフツーな感じで。ここはだれでも入れるフリースペース、檻も柵もありません。

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ほら、こっちにも

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「うまっ、うまっ、葉っぱうまい」

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あそこには小象が

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振り返ると、まだまだいます!

象は童謡「ぞうさん」などで、虫も殺さぬ穏やかで大人しい動物であるかのように描かれておりますが、いやいや、実はひとたび怒りの焔が上がると、極めて凶暴な猛獣と化すのであります。

これは何年か前、ムツさん(ごろーさん)が書いた記事を読んで知ったのですが、確かに普段の象は従順で大人しい動物です。しかし、何かが癇に障ると、何年も一緒に過ごしてきた象使いでさえ、いきなり「アタック」されるということです。あの巨体に「アタック」されて生きている人間はごくごくまれ。象のことを知り尽くしているであろう象使いでさえ危険なのですから、いわんや一般人をや。

しかし、だからこそ、象を手懐け、牛馬の如く沢山抱えるということが、古来より権力の象徴となり得たようです。つまり、この「仏歯寺」のスリランカにおける権威というものが、この沢山の象さん達から自ずから伺えるというものです。

と、いうわけで、あまり彼らを刺激しないよう、ソロソロと境内を移動しつつ、本堂へと向かいます。

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階段を降り切ろうとしたところで、でかいの一匹と鉢合わせ!枝の束を鼻で抱えてズンズンと歩いています。

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びっくりして思わず、後ずさりすると、こっちに向かってきました(汗)

眼の前を通り過ぎていきます。

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やれやれ、と振り返ると・・・

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さらに、お一人様ご案内。

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かなりの迫力でした(汗)。

で、彼らは枝を運んで、何をしているのかと言えば・・・

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「うまっ、うまっ、葉っぱうまい」

自分のごはんを運んでたんですね。

因みに、この象さん達、「仏歯寺」お抱え象の他、この後に始まる「ペラヘラ祭り」のために各地から集めてこられた象さん達なんだそうです。祭り前の腹ごしらえといところか。

「ペラヘラ祭り」、字面のユルさに大いに反し、極めて重厚なお祭りのようです。

【続く】

 

 

 

スリランカ滞在記(37)

まだ続いてたの?

はい、私の中では絶賛継続中な「スリランカ滞在記」。

中途、番外編「フルーツ体験記」などと、うつつを抜かしたため、八月終盤以来の更新となってしまいました。

と言いつつ正直申せば、スリランカのスの字も思い出すことなく過ごしていた今日この頃。

昨日、とある忘年会で、知人がチラッとこのブログのことに触れて下さいました。

(ああ~そう言えばあ~そういうのもあったような気がするよなあ~)

などと数秒、他人事のように遠い眼をしていた私でしたが、ハッと我に返り、この「スリランカ滞在記」、完全に更新を忘れていたことに思い当たったのでした。

というわけで、まいりましょう、第37回目です。

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スリランカのおへそとも言うべき場所に位置する町、マータレーを後にした我々一行は、ついにこの旅のメインディッシュとなる、スリランカ第二の都市とも言うべき「キャンディ」へと到着いたしました。

キャンディは、だれが言ったか分りませんが、スリランカ版京都ととも言われ、スリランカの魂とも言うべき古寺「仏歯寺」があり、その一方で英国植民地時代の古き良きと言われる西洋風建造物が点在するなど、エキゾチックながらも調和した町並みが見どころと言われる街であります。

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と、ふと車窓より外を眺めれば、日の丸をアップリケした手袋を両手に着用したおじさんが、白昼堂々交差点のど真ん中を陣取って、猛烈に日の丸をアピールしているではありませんか。

さすがスリランカ版京都、思わぬところで親日家に遭遇・・・

ではなく、単に交通整理をしている警察のおじさんでした。旗とか目立つ物ではなくて、あの小さな手袋で大丈夫なんだろうか・・・と少し心配になりましたが、「かわいいので良い」という大方の評価を得ていました。

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ところで、我々を載せたバスは街の中央へと向かって行くのですが、徐々に車道は渋滞、なぜか歩道には人の群が並んでいます・・・

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今日は、スリランカにおける新型アイフォンの発売日なんでしょうか。

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と、我々が降ろされたのは「ピザハット」。なぜ、スリランカ版京都の街でピザハットなのか(というか、ピザハットって外資系だったんですね)。

さて、この二階からは、キャンディの名物ホテル「クイーンズホテル」を向かいに見ることができます。ちなみにこのホテル、世界遺産に登録されているという名建築。

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この日のクイーンズホテルの道路側の部屋は、一年以上前から予約で埋まっているということです。

そして、南国スリランカながら、うちのご近所と似たり寄ったりの「ピザハット」、この日ばかりは、お向いの世界遺産にも負けない「プレミアム」な場所へと変貌するのでありました。

【続く】

ご報告ー共命鳥行列・太平洋戦争開戦75周年全戦没者追悼法要 

前回ブログでご案内させて頂きました通り、先日、12月8日木曜日、「共命鳥行列・太平洋戦争開戦75周年全戦没者追悼法要」を無事修めましたので、ご報告申し上げます。

当日、一番懸念していたことは「お天気」。午後2時に、平和記念公園慰霊碑を参拝し、行列を組んで浄宝寺へと向かうわけですから、雨でも降ろうものなら、参加者激減は避けられません。

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果たして当日は晴天なり。しかも、もう一つの懸念「寒さ」も殆ど感じさせない、穏やかで暖かい日和でした。

そして、さらにもう一つの懸念は「参加人数」。いろいろ試算して180名ほど集まるであろうと見積もっていたのですが、何せ初めての試みです。実際の参加は未知数でした。中には「50名集まれば御の字っしょ」と言う輩もおり、ちなみに本堂で用意している椅子席は200席なので、50名だとかなりスカスカ、まばらな印象となって芳しくない。せめて、100名集まって!と願いながら集合場所へ赴けば・・・

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!!これは100名どころではない!大方の予想に反して、200名に達したかもしれません。

余談ですが、原爆投下前、この辺りに浄宝寺は在しておりました。

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午後2時、定刻。主催者「広島遊林会」メンバーが平和公園慰霊碑前に整列し、献花並びに念仏を称え、原爆被害者の方々に対し追悼の意を表します。

そして、各々「共命鳥折り紙」を手に「共命鳥行列」へと移ります。

%e5%85%b1%e5%91%bd%e9%b3%a5↑「共命鳥折り紙」、鳩くらいの大きさがあります。ところで、共命鳥(ぐみょうちょう)とは何か?前回ブログをご参照ください。

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東広島黒瀬町の雅楽グループ「伎楽慈音」の雅楽奏楽を先頭に、列を組んで平和公園内を静かに歩いて行きます。

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原爆慰霊碑より延々と繋がる行列。その厳かな様子から、碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」、その言葉に込められた平和への願いが行列を貫いているかのように感じられました。

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行列が始まって15分ほどで、先頭がお寺に到着。皆さん、次々と本堂へ上がっていきます。

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本堂に入ると、手にした「共命鳥折り紙」をご本尊前に奉献します。事前に託されたものも含め、何百羽もの「共命鳥」が壇上を埋め尽くしました。

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そして「太平洋戦争開戦75周年全戦没者追悼法要」が始まりました。

怨親平等、自利利他円満、立場を超えて、世界中の人々がお互いがお互いの命を尊重しあう「共命」の世界の実現を願って、「仏説阿弥陀経」をお勤め致しました。

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講師は浄宝寺前住職、諏訪了我。病気療養を経て11ヶ月振りの法話です。

原爆孤児として戦後の辛酸を舐めた前住職は

怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、
ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である。

と、ブッダの言葉(ダンマパダ)を最後に引用して「共命」の道を説き、話を終えました。

本堂は廊下まで人が溢れ、用意した椅子200席はほぼ埋まるほどのご参拝。

戦争の恐ろしさと愚かさと悲しさ、そして平和に対する切なる願い、皆が同じ思いを共有した「共命」の貴重なひとときでした。

共命鳥行列・太平洋戦争開戦75周年全戦没者追悼法要 

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師走が始まりました。

つい先日まで青空を背景にまばゆく輝いていた銀杏の葉も大方散ってしまい、秋は徐々にフェードアウト、街は本格的な冬を迎えようとしています。

これより、年越しまで様々なビッグイベントが目白押しでありますが、それまでに我々は12月8日という日を通過せねばなりません。

12月8日、その日を迎える人の思いは様々です。たとえば、ビートルズファンにとってはジョン・レノンの命日、仏教徒にとってはお釈迦様が悟りを開かれた「成道会」。そして、日本にとっては太平洋戦争開戦の宣戦布告となった「真珠湾攻撃」(1941年)の日です。この奇襲作戦をきっかけとして日本の戦局は泥沼化、最終的にヒロシマとナガサキに原子爆弾が投下されることとなりました。

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広島市西区草津の教専寺前住職、故選一法師は、今年が太平洋戦争開戦75周年に当たることを受けて、全戦没者追悼法要の修行を発案。その背景には、本年5月27日、オバマ米大統領が平和公園に来園し慰霊碑に献花の上、全戦没者に対して追悼の意を表したことにあります。

この歴史的な日が実現するきっかけとなったのは、浄土真宗本願寺派門徒の森重昭氏(己斐 光西寺門徒)の存在だと言われています。森氏は、被爆死した12名の米兵捕虜の調査を30年以上に亘って続け、その遺族との交流を温めてきました。森、オバマ両氏の抱擁する写真は記憶に新しところです。

故選師は、国や政治の立場を超えて戦没者を悼む両氏の真摯な姿勢に胸を打たれ、この節目の法要を思い立たれました。そしてこの度、『仏説阿弥陀経』に説かれる「共命鳥(ぐみょうちょう)」の逸話(※)の通り《憎しみを超えて他を生かす道こそが平和の原点になる》と、その願いを込め、戦中まで平和公園慰霊碑横に在した淨寶寺本堂において法要が営まれることとなりました。

第一部は「共命鳥おりがみ」(折り鶴の尻尾を折って双頭にしたもの。㊦写真参照)を手に、午後2時より平和公園慰霊碑参拝後、行列を組んで淨寶寺へと向かいます。

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第二部は、その「共命鳥おりがみ」を本堂に奉献し、午後3時頃より全戦没者追悼法要を修めます。

現在法要参加予定者は180名。

ご参拝は自由ですので、ご参加頂ける方は淨寶寺まで、是非ぜひ、ご一報下さい(電話:082-241-1586、または当ホームページ「お問合せフォーム」をご利用下さい)。

 

※共命鳥(ぐみょうちょう)の逸話

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 『仏説阿弥陀経』に、お浄土に住んでいる鳥の名前が六つ出ています。その中に「共命之鳥」といい、美しい羽を持ち綺麗な声で鳴く鳥がいます。身体が一つで頭が二つあると言われています。奇妙に見える鳥ですが、大切な仏様の法を説いています。
昔、多くの共命之鳥の中でも、とりわけ素晴しい鳥がいました。しかし二つある頭の何れもが「私の頭の羽毛は比類なく美しく、声も世界一美しい」と主張して、やがて互いは憎しみ合い、争うようになりました。遂には「片方さえ亡きものにすれば、この私が世界一になれる」と、ある日、秘かに食べ物に毒を混ぜ、もう一方に食べさせました。しかし、頭は別々でも入るお腹は一つです。結局、共命之鳥は二つの頭もろともに死んでしまいました。
この愚かな事件があってから、お浄土の共命之鳥は「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ、己の生かされる道」と鳴き続けているということです。

報恩講法要

去る、11月16日、一年の中で最も大切な御法要、報恩講法要を50名のご参拝のもと、本年もつつがなくおつとめさせて頂きました。

親鸞聖人は真実のみ教えを明らかにして下さいました。よって、聖人のご命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)を機縁として、そのご遺徳を讃嘆するのであります。

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今年の御講師は、埼玉県比企郡吉見町の浄泉寺住職、福井学誠師。

福井師は、富山県の由緒ある寺院に生まれましたが、NHKに就職しカメラマンを勤めていました。しかしながら、その後、縁あって寺院に入り、本山本願寺で式務職(本山で法要儀式を専門的に執り行う役職)に就きます。そして更に、今度は都市開教を志して東京の築地本願寺に移り、現在の埼玉県比企郡吉見町で寺院を開き現在に至ります。

都市開教とは何か。

私達の宗派「浄土真宗本願寺派」(以下、本派)は、広島県の半分を「安芸教区」として区切り、約550ヶ寺もの本派寺院を抱えています。

ところが首都圏の「東京教区」は、東京都(約1315万人)、神奈川県(約904万人)、埼玉県(約719万人)、群馬県(約200万人)、千葉県(約621万人)、茨城県(約296万人)、栃木県(約200万人)、山梨県(約86万人)及び静岡県(376万人)の1都8県で構成されているにも関わらず、その本派寺院数は約450ヶ寺。

広島県全体の人口は、2010年では約286万人。それに対して、首都圏は約4717万人、実に16倍以上の人口です。にも関わらず広島県の半分の範囲よりも本派寺院数が少ないのです。

よって、その首都圏において寺院を設立し布教伝道を行うのが、言わば都市開教であります。

しかしながら、人口が多く寺院数が少ないのなら、その分、競合相手も少ないということなので、都市開教は割とやり易い事業なのではないか、と思う向きもあろうかと思いますが、どっこい、そうはいかの塩辛。

人口が多く寺院数が少ないというのは、それだけお寺に関心の無い人が多いということなのです。

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福井師は、寺院の新規立ち上げから今日に至るまでの道程と工夫そして苦労、お寺に無縁の方々に仏法を説く困難さを語りながら、開教の現場で培ってきた経験を基とした独自の切り口で、み教えを明快に説いて行かれました。

参拝者一同、そのパイオニア精神に感銘を受けながら、お話に聞き入っていた様子でした。

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今年も婦人会、若婦人会の皆さまで、お斎弁当(精進弁当)をご用意頂きました。

二日かけて丁重に下拵えして下さったお味は、相変わらずのハイクオリティー、とても美味しく頂戴致しました。

この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。

 

東広島河内町 順教寺

昨日、11月7日のこと。

東広島市黒瀬町は徳正寺さんの主催する「伎楽慈音」という雅楽グループの一員として、同じく東広島市河内町の順教寺さんへ行ってまいりました。

順教寺さんはこのたび新たに納骨堂を建立され、その落慶法要における雅楽奏楽のご依頼をいただいたという次第です。

雅楽とはなにか?

ごくごく簡単に言えば、神社の結婚式なんかで、「ぷわ〜ん」という耳慣れない楽器の音色を聴いたことはないでしょうか。

そんなやつです(やっつけですみません。詳しくはググってください。因みに私は雅楽で笛のパートを担当しています)。

ところで、今しがた神社と申しましたが、雅楽はもともと聖徳太子が大阪の四天王寺で始めたのが起源、と言われています。ですから、お寺の本格的な法要でも雅楽が伝統的に奏されてきました。

それはさておき、ここまでは前置き。本題はその順教寺さんの立派な佇まいです。

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上の写真は、広島空港へと向かう山陽自動車道河内インターから車で5分、山の中腹に建つ順教寺山門です。その伽藍群を支える石垣・・・

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城か!これは忍者も登れない仕様のやつです。

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そして本堂。決して巨大というわけではないですが、堂々たる風格です。そして驚いたのが・・・

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木彫りの彫刻群です。本堂妻面(屋根の側面)には、鳳凰や鶴などの鳥たちの彫刻が五種も。

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これは本堂正面の欄間の透し彫り。おそらく仏典を題材にしたものでしょう。重厚です。ガラスカバーが施されており、かなり貴重な作品であることが伺えます。

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そして本堂の内側もしっかり彫られています。透し彫りの裏面はたいてい平面で彫刻が施されていないことが多いのですが、一切手抜きがありません。大変な手間が掛かっています。

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ここはその欄間と屋根のつなぎ目の部分。なんと、ここにも龍の木彫りが。この部分に彫刻が見られるのはかなり珍しいのではないでしょうか。

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そして、内陣正面の欄間。豪華な牡丹の上には、さらに天女方が。

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ここは余間。ちょっとわかりにくいですが、内陣との境界、右手上の欄間にも透し彫りが見えます。

ということは・・・

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やはりお内陣も彫刻の嵐。両脇壇(浄土真宗開祖親鸞聖人、中興の祖蓮如聖人の御影をご安置するところ)上にもぬかりなく彫刻欄間が配置されています。

さらに、写真ではわかりにくいのですが、またまた驚いたのが内陣の床板。外陣境界から脇壇に至る巨大な一枚板がドカンドカンと並べられています。いったいどれほどの巨木を材料にしたんでしょうか。

たいへんな本堂です。ご門徒方に大切にされ、そして大切にしてきたお寺の歴史が窺えました。聞くとところによると順教寺さんは開山より500年以上、現在24代目の住職を数えるということです。

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本堂横のお庭ではモミジがはや色づいていました。詳しいお話をお尋ねする時間はありませんでしたが、この素晴らしい本堂で法要のご縁、また雅楽奏楽のご縁をいただきましたこと、誠にありがたい経験でした。

笛のお伴「聖湖」

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突然ですが、ここは北広島町「聖湖」。風一つない湖面は明鏡止水、中央に望む臥龍山が映え、これぞ湖という抜群の景観であります。

カープリーグ優勝パレードで湧いた土曜日の夕方、私は笛の師、福原一間先生にお伴して、ここ聖湖は「正直村」という名のコーヒーハウスにやってきたのです。

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当日の広島市は快晴、気温も高く、絶好のパレード日和でした。しかしながら、さすが県北、車から降り立つとキンと冷えた空気が身を包みます。

来たる夜に備え、薪が燃やされました。

間も無く、とあるオーナー集会に先立ち、余興として福原先生のコンサートが始まるのです。

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到着してすぐに他のお弟子さん二人と共に舞台のセッティング。笛や鼓の音響チェックが行われます。

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準備オーケー。次第にあたりが暗くなり始め、お客さんも集まってこられました。いよいよコンサートの開始です。

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最初は誰もが知っている日本の古き良き童謡のメドレー。「赤とんぼ」や「小さい秋」など、哀愁あるメロディーが湖面林間に響きます。

俄かに風が出てきました。林を吹き抜ける音、枯葉と枯葉の擦れる音、焚き火のはぜる音、自然の音すべてが笛の音色と調和し、ゆったりと時間が流れてゆきます。

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かなり冷え込んできたにもかかわらず、静かに聴き入るお客さん方。

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演奏は福原先生の小鼓、女性のお弟子さんの笛による「越後獅子幻想」に移りました。難しい曲ですが華やかな笛です。小鼓を打つ音も軽快に響きました。

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実は私も能管で参加。先生の奏する「荒城の月」では、効果音的な役割を勤めさせていただきました。

気がつけば夜空には三日月が。

寒くはありましたが、美しい湖と林の中で笛を奏で、その響きに身をひたす幸せ。

福原一間先生とのご縁に感謝のひと時でした。

釈迦堂(比叡山滞在記)

11月に入り、全国的に寒さが強まってきたようです。特に日本シリーズでカープが優勝するものとばかり思っていた広島の冷え込みようは格別であります。

明日11月5日は、当寺のすぐ近く、平和大通りにて『カープ優勝パレード』が行われる予定ですが、

「リーグ優勝の時、しときゃあ良かったのにのう」(ため息)

等消極的な意見が聴かれるなどして、果たして盛り上がるのかと今一つ不安な模様。

しかしながら、確かに先日のメジャーリーグワールドシリーズの如く最終第7戦までもつれ込み熱戦激戦の上での敗戦、というやり尽くした感とは無縁の完敗であったけれども、この時期まで赤いユニフォームを全国放送で観て楽しむことが出来たのだから、「言いたいこと」はぐっと押さえ、感謝の気持ちを前面に押し出すのが赤ヘルファンのたしなみと言えましょう。

明日のパレード、なんだかんだ言って、平和大通りは赤く染まるのであります。

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と、同じ赤でも、ここは前回のブログでご紹介した比叡山「にない堂」(常行三昧堂)、本題です。

親鸞聖人が修行したと言われるこのお堂を背に、長い石段を下ると現れたのが、

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巨大な伽藍、「釈迦堂」です。

本来は「転法輪堂」という名称ですが、ご本尊がお釈迦様なので「釈迦堂」という呼び名の方が広まったようです。

因みに「転法輪(てんぽうりん)」とは、法輪―つまり、仏法を輪っかにたとえ、それが転がって迷いを粉砕する、という意味があるそうです。言い換えれば「お釈迦様のお説教」ということですね。

ところで、この建物、比叡山で一番古い建物だそうです。信長の焼き討ちにより、延暦寺は今年の日本シリーズ第6戦のカープごとく完膚なきまでに滅ぼされたのですが、その後、豊臣秀吉の命により、滋賀県大津は三井寺(園城寺)の金堂がこの地に移築されました。その金堂の造営年は1347年。と、いうことで比叡山最古となるわけです。

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三井寺は琵琶湖畔に近い場所にあります。そして、ここ比叡の頂上は848メートル。険しい山道を人力で、斯様に巨大な伽藍の木材をよくぞ運び入れたなと、その労力にただただ感心するほかありません。

さて、この「釈迦堂」国の重要文化財であり、そのためか堂内は撮影禁止となっております。その荘厳な模様をお見せできないのは誠に残念ではありますが、ひとつ撮影を許されたものがありました。

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これは内陣(ご本尊等をご安置する空間)前に置かれた「常香盤(じょうこうばん)」。鉄格子の内は香炉灰で、そこに黄色く幾何学模様が描かれています。

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その黄色い模様、実はこれ「抹香(まっこう)」というお香です。抹茶と同じように粉末状にしたお香を抹香といいます。香炉灰に溝をつくり、この粉末状のお香で埋めるわけです。そして火を付けると、ゆっくりじっくりと香は模様を描くように燃焼し且つ煙と匂いを放ち続けるのです。

また、常香盤の中は、風など外部の影響を受けにくい環境のため、抹香の燃焼速度は安定しており、時計としての役割もあるということです。

因みにこの抹香、「モチ」はよいのですが、粉状のため取り扱いが難しく面倒です。そこで江戸時代に入って発明されたのが、抹香を固めた「線香」。

と、豆知識でした。

常行三昧堂(比叡山滞在記)

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さて、ここはどこでしょう?

ヒント?はい、差し上げましょう。

ヒント①・・・ここは山です。

ヒント②・・・遠望する水面は湖です。

ヒント③・・・ブログタイトルを見て下さい。

ということで、ここは京都・滋賀の県境にまたがる比叡山。天台宗開祖、伝教大師最澄師(766~822)が若干22歳にして開いた鎮護国家の道場です。

広陵東組(旧広島市内を中心とした浄土真宗本願寺派寺院組合のようなもの)研修旅行、本年はこの比叡山。

昨年はスリランカであり、その模様は「スリランカ滞在記」としてブログ連載中なのですが、何故か現在36回を数え、未だ終わる気配すらないまま、今年の研修旅行がやってきてしまいました。

昨年の研修旅行と平行して本年の研修旅行の模様をブログにアップするというのも如何なものかと思案致しましたが、「鉄は熱いうちに打て」と申します、比叡山で見聞きした感動が薄れない内にその滞在記をしたためておこう、と、そのような自分寄りな思いで始まるこの「比叡山滞在記」、何回続くか分りませんが、しばしお付き合いいただければ幸いでございます。

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さて、10月某日天候晴れ、我々研修旅行メンバー5名は、京都駅からチャーターしたジャンボタクシーに乗り込み、比叡山の一画までやって参りました。

これより広大な比叡山を境内地とする天台宗延暦寺の拝観が始まります。

私達浄土真宗の開祖親鸞聖人は、ご周知の通り、ここ延暦寺で9歳より20年間、つまり29歳まで修行に励まれました。その後、浄土宗開祖法然聖人との出遇いにより、比叡山を降りて念仏門に帰依していかれます。

自らの力によって悟りに向かう比叡山での修行と、仏の導きに全託して悟りに向かう法然聖人のみ教えは全く方向性が異なります。つまり親鸞聖人は比叡山で送られた20年間の人生を棄ててしまわれたということです。この道では自分は決して悟りには近づけない、その徹底した見極めは、親鸞聖人自身が厳しい修行に励む中で実感として湧いてきたものに違いありません。それは自力の挫折でありましたが、しかしながら同時に他力への目覚めでもありました。激しい求道は決して無駄ではなかったのです。

では親鸞聖人はどのような修行に明け暮れたのか。残念ながら、比叡山は織田信長の焼き討ちに遭い、それまでの史料の殆どが灰燼に帰しています。そして、親鸞聖人の御著作においても、ご自身の青年時代について全く触れておられません。つまり謎に包まれていたわけです。

ところが、大正時代、西本願寺の蔵より、親鸞聖人の奥方、恵信尼公のお手紙が発見されました。そして、そこに僅かではありますが、親鸞聖人の青年時代の姿が記されていたのでした。

「堂僧」

これが比叡山での親鸞聖人の御立場であったようです。「堂僧」が何を意味する役職なのか、諸説唱えられておりますが、現状、有力視されているのが「常行三昧堂」に関わる僧であったのではないかと言われております。

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と、写真左手のお堂が、その「常行三昧堂」です。

行者はお堂に独り籠って、中央にある阿弥陀仏座像の周囲を念仏を称えながらひたすら歩き続けます。その期間、実に90日間、それが「常行三昧」という修行の内容です。

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これはお堂の裏。

「常行三昧」はいたってシンプルな修行ですが、大変過酷なものだそうです。

行に入ると堂内は閉ざされ、外界と遮断されます。90日間、トイレ以外で外に出ることは許されません。そして、お堂の中では基本、阿弥陀仏の周囲を歩き続けます。日に一度の食事と僅かな仮眠以外は。また寝る時でさえ横臥することはありません。本尊の周囲に張り巡らされた竹の手摺に寄りかかるか、天井から吊るされた紐に掴まるかして休みます。数日で足は腫れ上がり、酷い場合には血流が悪化して壊死が始まると言われます。行の途中で気を失い、手摺や床に頭を打ちつけて重傷を負ったりするなど、時には死者も出たことから、一時修行が中断されていた時期もあったようです。

最初、行者の称える念仏はお堂の外に溌剌と聞こえてきますが、その声は次第に弱まって行きます。しかしながら、90日に近づいていくにつれ、行者の念仏は聞く者を感動させるほど清らかな響きとなっているということです。

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これはお隣「法華堂」とを繋ぐ渡り廊下。あの武蔵坊弁慶がこの廊下を肩に担いで担ったことから「にない堂」とも呼ばれているそうです。まあ、こんな大きな建物を弁慶といえどもイチ人類が担ぐことなど出来るわけもなく、いわゆる伝説の域を出るものではないことは明明白白なのでありますが、そもそもなぜ担ってしまったのか?その辺りのところが気になるところであります。
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さて、念仏を称えながら歩き続けるという、一つのことを集中し(三昧)して一日中行う(常行)ため「常行三昧」と言うそうです。そして、その最終目的は「見仏」にあるということです。修行が上手くいくと極限状態の中で、仏様を実在として見ることとなる。それがどういうことなのか、それは実際に「見仏」した行者さんにしか分からないことなのでしょう。

果たして、親鸞聖人はこの修行を修めたのでしょうか。そして「見仏」できたのでしょうか。今となっては知る由もありません。しかし、できたにせよできなかったにせよ、ただ確実に言えるのは、親鸞聖人の心がこの地で満たされることは決してなかったということです。

結果、親鸞聖人は比叡山を下りることとなりますが、現在、「常行三昧堂」の前には、「親鸞聖人ご修行の地」という石碑が建てられています。山を去り、別の道を歩まれた聖人であっても敬意の念を失さない、比叡山の懐の深さを感じました。

道元禅師(曹洞宗開祖)・栄西禅師(臨済宗開祖)・日蓮上人(日蓮宗開祖)・法然聖人(浄土宗開祖)・そして、親鸞聖人(浄土真宗開祖)など、多くの宗派開祖を輩出した日本仏教の母なる比叡山たる所以です。

 

スリランカ滞在記(36)番外編―フルーツ体験記3

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スリランカ滞在記、番外編、フルーツ体験記最終回となりました。

最後を飾るフルーツはコイツです。

と、その前に㊤写真中央部のフルーツ、前回、私はガイドさんにその名称を聞いたものの完全に忘れてしまい、何かピーマンみたいだと、いい加減にやっつけておりましたが、とある方から「あれはスターフルーツである」旨のご指摘を頂戴致しました。

わりとメジャーな果物なんですね。

きっと、「ピーマンじゃねえよ、スターフルーツだよ」と多くの方々が呟かれたことと思います。

輪切りにすると、星のような形状になるからだそうです。ネットで調べてみると星というよりはヒトデっぽいですが・・・

大変失礼いたしました。

さて、改めて、最終回を飾るフルーツはコイツです!

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写真の下部で異様なオーラを放つ、全くフルーツっぽくない物体。どちらかと言うと、お野菜。ジャガイモ系です。しかし、その周辺に並ぶ物品のカテゴリーは完全にフルーツ。ということはこの馬鈴薯もどきも、また果物なんでしょうか?ガイドさんに聞いてみましょう。

「ああ、アレネ、ウッダッポだヨ」

は?

「ウッダッポ」

うっだっぽ、ですか?

「そう、ウッダッポ」

どうやら、馬鈴薯もどきの名称は「ウッダッポ」のようです。しかしながら、「ウッダッポ」と言われても、そのような現地語と思われる名称は初耳であり、無論それが果物であるのか野菜であるのか、推測さえつかないのであります。

ウッダッポって、果物なんですか?

「はあ?」といった感じで、ガイドさんが露骨に怪訝な表情をしました。私、何か変なことを聞いてしまったんでしょうか・・・

ガイドさんが、眼を丸くして私の目を覗きこみます。まるで「世の中にはこんな馬鹿がいるんだ」と云わんばかりです。

しかしながら、そんな蔑視の表情はすぐに立ち消え、ごく小さなため息を挟んだ後、かわりに弱者を憐れむような色が浮かんできました。

ガイドさんは「ウッダッポ」を、一つ手に取り、店主へスリランカ語で何事かを指示しました。

店主が「ウッダッポ」を二つビニール袋に入れて、ガイドさんへ渡しました。

「あとで、ミンナデ食べるとイイヨ」

そう言いい放つと、ガイドさんは営業スマイルを取戻し、市場の案内を再開したのでした。

翌日・・・

レストランで昼食を摂り、みな一息ついたところで、デザート替わり、例の「ウッダッポ」が出てきました。

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外見の通り、皮も固そうです。剥いて食べるというより、果肉を抉り出すような感じです。

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何というか・・・果物というものはフレッシュな果汁が飛び散るものであって、或いはバナナのようなもっさりした非果汁系であっても、どことなく南国の楽天的な雰囲気を纏っているものですが、コイツ、「ウッダッポ」は、外観も中身も、そんな果物的な美徳を一切感じさせません。反骨精神の塊、カッコよく言えばロック。フルーツのアンチテーゼ。

いやいやしかし、フルーツは見た目だけでは決まりません。やはりお味です。これだけフルーツであることを拒否したルックスでありながら、フルーツのカテゴリーにいられるということは、つまり、それを補って余りある実力があるからに相違ないのです。

近寄っただけでも思わず叫んでしまうくらい臭いのに「フルーツの王様」と崇められるドリアン。その理由は、腐臭を帳消しにしてなお余りある美味しさにあるのです(因みに私は食べたこともないし、今後食べることもないでしょうが)。

さあ、実食です!

と、その果肉を口元に近づけた瞬間、私の中で異臭騒ぎが勃発しました。迂闊です。これはつまりドリアン系フルーツ。きっとほっぺが落ちるくらい美味しいに違いありません。しかしながら、それは口に入れることの出来た者のみに許された味わい。

残念ながら、「ウッダッポ」の果肉を指したフォークと私の口元との間に生じた凡そ20㎝ばかりの距離が、それ以上縮まることは恐らく永遠にないでしょう。

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「でも、木のリンゴとはよく言ったもんじゃの」

隣に座っていたツアーメンバーがふと口にしました。

そう言えば、「ウッダッポ」、大きさはリンゴくらい、皮は木の皮のようです。

ウッダッポ・・・何かの配線と配線がバチバチと繋がりました・・・

ウッドアップル!木のリンゴ!

その瞬間、私はあの時、あの憐憫に満ちたガイドさんの表情の意味を悟ったのでした。

【フルーツ体験記 完】

 

 

 

新住職の辞令

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と、ここは京都、「お西さん」こと、「西本願寺」こと、浄土真宗本願寺派ご本山「本願寺」は阿弥陀堂前、9月27日午前5時30分現在。

これから私こと諏訪義円は、ご門主様(言い換えるならば西本願寺の法主)より、住職補任の辞令を頂くのであります。

思えば今年の3月30日、前住職の諏訪了我が高齢につき引退を決意し、私が淨寶寺第17代住職を継承させて頂いたのでした。

しかしながら、それは事務上法律上のこと。

開祖親鸞聖人の血脈、本願寺第25代大谷光淳ご門主(専如上人)より、その辞令を直接手渡されることによって、住職継承は真の意味で完遂するのであります。

よって、私は前日より本山入りし、住職の何たるかを事前研修で講義を受け、今日その日を迎えたというわけです。

ところでその講義の中に印象的なお話がありました。

本山には布教の専門家を育成する機関がありますが、その研修生がある寺院において実習で法話を行った際のアンケートによると・・・

四十代以上、浄土真宗のみ教えに親しんだ方々からは、「とても分かり易く、よく構成が練られた話であり、また話し手独自のみ教えの味わいが伝わってきて、とても感動しました」等、大変高い評価を得ました。

ところが、二十代から四十代前の、仏教に親しみのない方々からは、「一体何を話しているのか分からなかった。」「私達が抱える悩みに応えてくれる教えとは感じられなかった。」「この程度の話しを聞くために時間を割いてお寺にお参りしようとは思わない。」と言う様な、まことに辛辣な答えが返ってきたということでした。

この両極端な評価は一体何を意味するのか。

それは、僧侶自身が身に付けている専門的な真宗用語や教義理解を、お寺に参った聴衆もまた当然知っているであろうという思い違いをしているのではないか。

僧侶も門信徒も、そして如何なる立場も関係なく、私達は皆等しく、生涯み教えを聴聞させて頂かねばならない苦悩の存在である。その精神を忘れ、上段から仏法を教授しよう、啓蒙しようという驕った態度になってはいないか。

仏法に縁の薄い家庭が増えている現代の状況に鑑み、専門用語の多用を避け、言葉を噛み砕き、より分かり易くするという努力を怠っているのではないか。

・・・などなどの反省点が指摘された次第であります。

私自身、心当たりがあり、まことに耳の痛いお話でありました。今一度、自身の法話を点検し再考せねばならぬところです。

しかしながら、その一方、物事というものは、「求めねば開かれない」という側面もあります。

たとえば、ラジオで野球中継を聞いています。

「さて、ワンナウト走者一塁、ピッチャー第六球目、バッター打った!打球はショート真正面へ!ロク、ヨン、サン、でゲッツー、ダブルプレイ!スリーアウトチェンジです。」

野球好きなら直ちに「打者が凡打を放ち、遊撃手が捕球、一塁へ出ていた走者が二塁へ走塁する前に二塁手へ送球して一死。それを捕球した二塁手がさらに一塁へ送球、打者が一塁ベースを踏む前に一塁手がそれを捕球して二死。打者一人に対して、二つのアウトを獲得したため、GET TWO、でゲッツー、即ち併殺、つまりダブルプレイ。よって先に獲得していた一死と併せて三死でスリーアウト。野球は一回三死で攻守を入れ換えるが故に攻守交代である。」と理解しますが、野球に何ら興味のない者は「ロクヨンさん?ってだれ?月通?何それ?」とちんぷんかんぷんなのであります。

ところが「?」を通じて求める者は、野球通に尋ねるなどして、それらの語句の意味を知り、自然と理解を深め野球中継のテンポの良さ、面白さに目覚めていきます。しかし、求めない者は、決して野球と結びつかない「ロクヨンさん」と「月通」を脳内に悶々と抱えたまま日々を過ごすのです。

たとえば「AKB48」。

好きな人は一人一人の名前を判別し、個々の背景や役割を把握しながら、そのパフォーマンスを観賞するのですが、興味の無い人にとっては「何だか大勢女の子が歌っている」ぐらいにしか感じないのであります。

何が言いたいのか分からなくなってきてしまいました。

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閑話休題

ともかく、私は本山阿弥陀堂の晨朝勤行(朝の読経等)に参拝し、その後の「住職補任式」へと臨んだのであります。

尚、これを受式する際は、各寺院の門徒総代(役員さん)に同伴してい頂くのが習わし。いわば後見のようなもの。

全国より集まった新住職と総代方は総勢141名にも達しました。

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入念な事前リハーサルを経て、本番へと向ます。

その式の様子は当然のことながら撮影禁止なので写真はありません。

ご門主様より住職補任の辞令を手渡された時、一種独特の緊張感が走りました。それは私が僧侶の立場で本山の歴史的背景を知っていることから来るものなのかもしれませんが、改めてご門主様、ご本山の非常な重みを感じました。

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式終了後、国宝の白書院、鴻の間(こうのま)へと移動し、祝膳の精進料理を頂きました。鴻の間の雅やかな佇まいの中での食事は格別であります。

撮影禁止のため、写真でご紹介できないのが残念です。

ご門主様は式典の中で、そもそも現代人は、仏教が人々の抱える苦悩や迷いに応え得るものであるという認識を持っていない、という問題点を指摘されました(文責:管理人)。

まさに私自身が法を説く以前に、私の苦悩・迷いの諸問題を仏教に尋ね、そのみ教えに照らされて人生を歩んで行く身でなければならないと痛感させられた、貴重なご教化のひと時でありました。

 

 

 

 

 

 

スリランカ滞在記(35)番外編―フルーツ体験記2

今更ですが、言わせて頂きます。

祝!カープ、25年振りのリーグ優勝!

Bクラスに甘んじていた昨年の今ごろ、誰がそれを予想できたでしょう。

私も然り、その頃、まさか「スリランカ滞在記」が30回を越え、番外編である「フルーツ体験記」を記そうなどと思いも寄らなかったのであります。

本題に移ります。

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我々一行は、マータレーの街をあとにして、「スリランカのヘソ」と言われる、この島第2の都市、キャンディへ到着しました。上写真はその中心にある市場。

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どこの国に行っても市場は活気があるものです。自然と気分が高揚してきます。

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出ました。バナナは南国ではデフォルトであります。

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ここはかなりフルーツの種類が豊富。

お店の大将も威勢のいい早口で客を引き止めます。

「社長!男前だね!もぎたてだよ!もってけどろぼう!」

とでも言ってるんでしょう。

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しかし、見慣れぬフルーツばかり。

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ピーマンみたいな果物もあります。どんなフルーツなのかガイドさんから教えてもらったのですが、完全に忘れてしまいました。でも写真に撮っているということは、私的には当時その形状に衝撃を受けたんでしょう。今改めて見るとさほどでもありませんが。。。

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おっと、やはりおられました!フルーツの王様、ドリアン様。

しかしながら、そのドリアン様でさえ「地べた扱い」。スリランカのフルーツ民度の高さが窺えます。

さて、ここで「実食」です。

通常の流れであれば、ドリアンを食し、おそらく強烈極まりないと言われるその臭いの程を話題にするのでしょうが、そうは問屋が卸さぬがこの世の世知辛さ。

ドリアンに少し顔を寄せたただけで、私の中で異臭騒ぎが勃発しました。迂闊です。たとえ「地べた扱い」でも一度は王様の称号を手にしたフルーツ。私ごとき初心者の手に負えるものでは到底なかったのです。

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よって、そのお隣にあった「ヤシの実」ジュースで勘弁して下さい。

さて、ヤシの実ジュース、日本のレストランなどで清潔なグラスによって提供されている、冷え冷は飲んだことがあるのですが、その場に転がっいるもぎたての丸ごと一個に穴を穿ちストローを突きたてて頂くというのは初めて。先進国の住民としては却って贅沢な飲み方です。

ア”ア”ッ(+_+)

先ず、ぬるい。そして、ポカリスエットとスイカの汁を混ぜて更に薄めたような微妙な味加減。

その味の妙が判るには、あまりに未熟な私の舌。

一吸いで、ごちそうさまとなってしまいました。

南国フルーツ道は険しく奥深いのであります。

【続く】