慈善に対する反省(1)ー諏訪令海ー

【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】

慈善に対する反省(1)ー諏訪令海ー

 

 奈良女子高等師範学校では、去る一日、桑野教授引率のもとに、家事科四年生40名余名をして、大阪今宮の細民窟を視察せしめたが、桑野教授は視察の目的を説明して「生徒たちは明るい方面ばかりを見ている娘たちばかりですが、今日初めてこんなところを見学させたのは、育児研究以外に恵まれた生に対する感謝の意をもたしたいためです。」と語った(大阪朝日所載)。
 今日いやしくも女子の高等教育に携わっている教師の言葉として、右は甚だ物足らないものがあるように考えられる。
 そもそも、他人の貧困状態を見て「まあ私どもはあの人達に比べたら結構である、感謝せねばならぬ」等の考えを抱くのは普通人のなすところであって、これから新しい社会の構成員を教育せんとするもののために、わざわざ教うべきことではない。率直に言えば、こうしたとろい考え方を以て生徒に臨んでいるから、いつまでたっても我が国の教育が進歩せぬのである。今日では他人の貧困を見て自分の幸せを喜ぶなどの考え方は、或は不道徳に属するかも知れないし、更に一歩を進めて「こうした貧困者のあるのに、私どもは暖衣飽食して誠に相すまぬ、私たちにも一分の責任がある」という考えを抱くように誘導するのが至当ではあるまいか?

 右は、十二月八日の中外日報の記事であります。この記事を読んだ私は、毎年年末に金品を募集して養老院その他へ贈ることにしている、その動機を思い出したのであります。
 今から六年前のある日の午後でありました。街は歳暮の売り出しで、綺麗に飾られて、楽しいお正月を迎える支度で賑やかに活気づいた中を、私たち夫妻は北風に小雪の吹きつける広瀬橋を渡って、火葬場の上の養老院を訪れたのでありました。そこには全くよるべのない老人達が27、8人、貧しい部屋の寒い炭団の火にションボリとうずくまっていられました。同じ気の毒な境遇でも孤児院などなら、それでも、まだ生き生きとした活気があり、たとえ孤児でも行く先に希望を持ち、光を見出すこともできるのでありますが、養老院の方達は、それでなくても淋しい老後を、殊に慰めてくれる身寄りの者は一人もなし。ただ静かに死を待つより他にない、ほんとに火の消えたような日を送っておられるのでありました。
 寒い火葬場の土手を帰る二人は、しみじみ話ました。「あの気の毒な老人達の暮らしの様子を見ては、私たちの生活ぶりを振り返って考えずにおれない。私たちはもっともっと自分の生活を整理し、ひきしまった暮らしに立て直して、与えられた自分のつとめに精進させて頂かねば、第一あの人達に申し訳がない。それにとかく私たちは、怠けたうえに贅沢なことばかり考えて、本当に勿体ない。すまぬことである。今日は養老院の人達を慰めてあげるどころか、却ってあの人たちのおかげで非常に大切なことを教えられ、尊いものを与えて頂いた。」
 この心もちを皆さんにお話しをして、たくさんの方々から、お餅、おかし、お米、新古衣類、足袋、お金、お芋、炭などを頂いて、お正月も近い年末の日曜日に、青年会、婦人会、日曜学校の児童たちと一緒に養老院の仏前に礼拝の後、私は院の老人方にご挨拶を致しました。
 「私たちが今日皆さんをおたずね致しましたのは、皆さんは気の毒な方々でありますから、慰めしてあげるのですというような心持ちでおたずねしたのではありません。実は先日、皆さんを初めておたずね致しまして、私は本当に皆さんに対して相すまぬ生活をしていることを切に感じましたので、今日は皆さんにおことわりに来たのであります。皆さんどうか許して下さい、お詫び申します。何をそんなに詫びるのかと聞いて下さいますな。私は今それを一々述べたてるほど、今の私のしていることは、まだほんとのお詫びになっていないことを恥ずかしく思うのであります。ただ、お許し下さいと一言、言わせて頂きたいのであります。そうして今日は皆さんと共に私たちの懐かしい親鸞聖人さまの報恩講をお営みして、み佛様のお徳を讃嘆させて頂きに来たのであります。」

ー(2)へ続くー

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