我が子の恩―諏訪令海―

【淨寶 1927(昭和2)年8月1日発行分】

「我が子の恩」

                                             ◆高師仏教青年会講演の一節◆

 昔から「子をもって知る親の恩」ということをよく申しますが、私は我が子に対しては、むしろ「子をもって知る子の恩」ということを、しみじみ感ずるのであります。

                     〇

 まだ、令爾(れいじ※1)が生きていてくれたことの頃でありました。

 ある日のこと、私たち夫婦はつまらぬことから争いの心もって、互いに白い眼でにらみあっておりました。そこへ、外で遊んでいた令爾が大きな声で、「お父さんただ今かえり!・・・」と言って、勢いよく襖をがらっと引き開けて、部屋の中へ駆け込むなり両手を広げて父親の膝へ飛び上がろうとした刹那、敏感で直覚力に富んでいる子は、両親の闇(くら)い心の影をちらっと感じました。今まで抱きつこうとして張りつめていた両手の力はいつの間にか抜けて、冷たい両親の顔をうらめしそうに見返りながら、また、すごすごと外へ出て行きました。

 それを見送った両親は、間もなく互いの頬にあたたかい涙が流れているのに気づきました。

 冬の夜の氷のように、閉ざされていた二人の心は次第にとけていきました。

 夫は、しみじみとした心もちで妻に語りました。

 「令爾は私たちのような者でも親だと思って、広い世界にまたとない、懐かしい頼りとして力にしているのです。それは丁度如来さま(※2)を畢竟依(ひっきょうえ※3)として、頼りにしているように。

 それに今の私たちは、懐かしいここで抱きつこうとする令爾の前に、やさしい仏さまでなく、互いに白い眼でにらみ合っている恐ろしい鬼になっていた。折角素直に伸びようとする令爾のやさしい心の芽を、踏みにじってしまった。ほんとに恐ろしいことでした。すまぬことであった。」

 「私たちはお互いに、ただ妻であり夫であるばかりでなしに、可愛い令爾の親であることを忘れますまい。そして、お互いに体を大事にして、あたたかい心を養って、いつまでも可愛い令爾のほんとの親にならして頂きましょう。」

 二人の心はいつのまにか春のような、喜びに満たされました。

                     〇

 獣(けもの)の寄り合いになりがちの私たち夫妻を、いつも人間に呼び覚ましてくれるのは我が子であります。

 親は子を育てるといいますが、私たちは我が子に対して何を与え、如何に育てているでしょうか。

 衣食住を与えて育てているといいます。しかし肉体だけなら、あながち人間でなくても、犬でも猫でもそれだけはしております。

 日々の生活の上に私たち夫婦は我が子の前に何を教えているでしょうか。

 それは口では随分、仁義忠孝を教えております。しかし、「百日の説法屁一つ」ということがありますが、百日の説法もお互い夫婦のいがみあい一つの行為によって全ては差し引かれて教えるどころではない、常にマイナスマイナスで日を送っているのであります。百日の説法よりも尊い行為生活こそ、真に我が子を育てるのであります。

 今日一日の間に私は我が子の前に何をしてみせたかを反省してみましょう。

 よくよく反省してみると、私は我が子を教育するよりも、我が子の心を傷つけ、むしろ我が子に教育せられることの方が多いことに驚くのであります。

                     〇

 かつて令爾が大病で枕に就いたなり、頭の上がらぬことが八か月、医師を煩(わずら)わしたことが一年半、その間、暑い真夏も寒い厳冬の時も厭わないで、病んでいる我が子のために苦労を苦労ともせず、一心に看護している私をみて、私の母が申しました。

 「いかに我が子のためとはいえ、あんたのような横着な者が、よくもああ世話ができたものじゃ。」と感心いたしました。

 楽がしたくて苦労することの嫌いな、得手勝手な私が、我が子に対すると不思議に苦労を苦労としないで、むしろ「喜んでその苦しみを引き受ける」のであります。

 功利的な心を離れて、タダでは一と足も動きたくない貪欲な私の心に、「喜んで苦しみを引き受ける」というような、あたたかい尊い心を生んでくれたのは我が子であります。私にもしも令爾がいなかったらなら、こういう尊い心持ちは恐らく一生涯味わわないで過ぎただろうと思います。

 そうした意味から言えば、我が子を生むということは、ほんとの意味での自分自身を生むことであります。

                     〇

 私は私の子に対して、ただ「可愛い」というだけでは我が子に対する心持ちの全てを尽くすことができないのであります。もう一つ尊いということを付け加えて、初めて私の心持ちが落ち着くようであります。この「我が子の恩」を知ると同時に親としての自覚をい得て、初めて真に親子の親しみを味わい、そこに今まで単なる概念的であった「親の恩」も、私には無理なしに子として、しみじみと「親の恩」を感ずるのであります。ここに「子をもって知る親の恩」という真の意義を味わうことができるのであります。

                     〇

 「子をもって親の恩を知り、子をなくして神の愛を知る。」ということがありますが、令爾が生きている間は日々尊い反省を与えてくれました。そして今の私に、「聞かして頂きたい」という求道の心があるのは、全く死んだ令爾の尊いたまものであり、私のような怠け者に念仏させて頂くのは、死んだ令爾からの尊い贈り物であります。

 私は三十五歳のとき初めて無常ということを知り、死を知ったのであります。僧侶である私が三十五歳の時、初めて死を知ったというのは如何にうかつな人間のようでありますが、全く私はそれ程にうかつな人間なのであります。私はそれまでに度々人の死に接しているのでありますが、それはただ死の概念を得ただけであって、私が心から無常を、死を知ったのは、可愛い我が子の死に接して、初めて、うかつな私も真に驚きをたてたのであります。

                     〇

 令爾が亡くなった当分に、悔やみに来て下さったお友達が、

 「あなたのように、折角お子さんが生まれても、あんなに死んでしまわれては、むしろ私のように、てんで子のない方が幸せかも知れませんね。」と言われた時、私は、

 「あなたは、何をそんな勿体ないことをおっしゃるのですか。死ぬる程ならいっそ生まれてくれない方がよい、というような、私と令爾の仲は、そんな薄っぺらなものではありませんよ。」 

 私の令爾は、私にとっては生死を超えた最も尊い妙有の存在であります。全く私の生死に対する救いの善知識であり、求道の根源であります。

              

                       (了)

                                          

(※1)諏訪令海の次男。大正13年寂、享年8歳。

(※2)阿弥陀如来(阿弥陀仏)

(※3)究極の依りどころ

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