更新

「ブログの更新」

言葉にすればたったの6字ですが、なかなかこれが大変です。

毎日の更新は絶対ムリ!3日に一回はかなりの負担、1週間に一回は?まあなんとかイケるだろうと思って始めたこのブログですが、なんと時間の経つのが早いこと早いこと!ついこの間更新したと思ったら、気が付けばすでに1週間以上が経過しているという体たらく。最近では10日に一回の更新でもゼイゼイ喘いでいる始末です。

1日24時間×10日=240時間

これだけの時間があれば、ブログネタの3つ4つ思い浮かびそうなもんですが、これがなかなかどうして書くことが何も思い浮かばないのです。いや、何も思い浮かばないということが思い浮かんでいるのですが、無論、そんな無内容なことをブログにUPしても無意味なわけで・・・これがごく私的な日記であれば、

「3月30日(土曜日)晴れのち曇り 今日は何も書くことが浮かびませんでした(マル)」

などと、小学生の三日坊主の日記ような内容でも良いのでしょうが、そんなものだれも読むわけなし。

話は変わりますが、タレントやコピーライターなどマルチな活躍で有名な糸井重里さん(64)は、「ほぼ日刊イトイ新聞」というご自身のホームページを、1988年に立ち上げられました。「毎日の更新はしんどいから・・・」ということで「ほぼ日刊」。そうやって始められたサイトだそうですが、何と!現在に至るまで毎日!ただの一日も休まずに!ご自身のエッセイを更新し続けていらっしゃいます。文字数は一回が大体原稿用紙2枚強(1000字弱)くらいのものですが、1988年というと約25年前だから、おおまかに計算して・・・

一日一本のエッセイを365日×25年=9125本!

凄まじいことに一万本に迫る勢いです。しかも、「ほぼ日刊イトイ新聞」は、この淨寶寺のホームページのように「一日の訪問者が多い時で20人くらい」という細やかな規模のものではありません。一日に13万人(淨寶寺のある広島市中区の人口と同じくらい!)の訪問者があるというモンスターサイト。つまり、26万の瞳に、ご自身のエッセイが毎日晒されているわけです。そのプレッシャーたるや想像もつきません。

また内容についても、車のタイヤがパンクしただのお好み焼きの呼び名がどうだだの春の花が咲いてただの、どーでもいいようなものではなく、毎回何かしらの「気付き」を提供してくれるような中身あるもの。しかも、難解な言葉や言い回しはナシという読み易さ。それを毎日更新!すごすぎ・・・

なんというか、語弊があるかもしれませんが、私は糸井重里さんに「人生を愛でる達人」というイメージを持っています。先日、可愛い可愛い姪っコちゃん(一才)に会ってきましたが、目尻の睫毛が五、六本ピンと上に跳ねてて可愛いネとか、爪が超ちっちゃくて可愛いネとか、言葉にならない変な発音の声がおさるみたいで可愛いネとか、瞳がちょっと薄茶色で可愛いネとか、良くも悪くも色んなところに自然と気がつきますし気になります。どうやら愛でる対象のことは幾らでも口にすることができるみたいです。そして、糸井重里さんの愛でる対象はあらゆるものを包んだ人生。だからこそ、毎日毎日の営みからの色んな気付きが言葉となって現れて出てくるのではないか・・・まあ極めて勝手な解釈ですが。

私も人生を愛でるような大きな心を持ちたいなと思うのですが、愛でるような余裕なんぞないというのが本音。ともかく出来る限り・・・たとえ10日一回ペースといえども「ブログの更新」を続けてまいりたいと思いますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。

サクラ並木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・というようなことを、川土手を散歩しながら考えてました。どこかで花見の宴会をしているのでしょう、辺りにはお酒の匂いが漂っていました(笑)

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 3/19のお参り誠に有難うございました。ちょとばかり言い訳を…。我が家は長年、玄米食にしてまして、昼前に白米をお供え致すつもりが、いろんな雑用が入り不手際なことになりました。帰られた後で気が付き赤面しました。お恥ずかしいかぎりです。年度末でもあったりで、なかなかブログも拝読できずでしたが普門寺様のしだれ桜をアップして下さり堪能(?)致しました。4/8の例会日には葉桜でしょうね、残念ですが(>_<)

    しかし桜はなぜ人の心をほんわか魅了するのでしょうか。春咲く花は数々ありますのにね。明日あると思う心のあだ桜…この儚さからでしようか。

    • お彼岸のお参りの件、ご丁寧なコメントをいただき、ありがとうございました。
      いつも過分なご接待に与りますこと、厚く感謝申し上げます。

      「儚さが魅了する」、その通りだと思います。桜の花が一年中咲いていたら珍しくも何ともなくなって、だれも気に留めなくなりますもんね。
      「無常」は悲しいイメージの強い言葉ですが、「無常」だからこそ気付かされる美しさということもあるんですね。

      4月8日の定例会、またどうぞよろしくお願い致します。

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