慈善に対する反省(2)ー諏訪令海ー

【淨寶 1928(昭和3)年1月1日発行分】

慈善に対する反省(2)ー諏訪令海ー

 

 一昨年の暮でありましたが、年の市の賑わいで雑踏している街中を「救世軍慰問品」と貨物自動車の後ろに大書して、餅やらみかんや炭などを沢山積み、その上に男女の救世軍の人たちが得意然と乗り込んで、爆音の煙をはきながら貧しい人たちの住んでいる町の方へ走って行くのを見受けました。

 去年の暮れ、隣保館へ募集品を託して、貧しい方々に適当に分けて差し上げて下さいとお頼みした時、分配する時においでになりますか、気の毒な方々をご慰問なさいますかと聞かれましたが、私はそれをお断り申しました。それは私には、そんな気の毒な方の前に立って、何と言って慰問したらよいか、その言葉がわからんのであります。いや言葉がないのではない、全く私に慰問する資格がないのであります。自分はたらふくに腹につめこみ、今日は寒いというて温かいものをうんと着込んだ私が、飢えに泣き、寒さに震えている方々の前に立って何を言わんとするのでしょうか。私が着ている物を脱ぎ捨て、持っているものの全てを投げ出すことができたら初めてその人たちを慰める資格ができたと言えるでしょう。この資格のない私がその気の毒な人たちの前に許される言葉は「どうか許して下さい」、ただこの一言でありましょう。

 奈良の先生の言を聞き、救世軍の慰問車を思い出して、その余りに無反省な態度に憤慨して、これらの人たちの態度に反して自分の当を得た態度を色々思い出して、いつの間にか悦に入っている、おめでたい自分のすがたにふと気付いた時、私はただ一人脇の下から冷や汗を流し、顔に火のような熱さを感じたのであります。「私こそ何という無反省な恥ずかしい奴であろうか」

 奈良の先生や、救世軍の人たちの態度に対して憤慨する資格が、果たして私にあるでしょうか。もし私の心の中に、気の毒な人たちを自己売名の道具にするような浅ましい心を持っていないなら、ある人たちのような態度をとらなかったのなら、それは私に憤慨する資格があると言えるでしょう。
 「果たして、お前にはそんな恥ずかしい心は全くないか。」
 「全くありません。」と私は答えることができないのであります。救世軍の貨物自動車を見て、「あれは何だ、売名か」と思った刹那、私は眼をつぶって顔をそむけたのであります。何故あの「救世軍慰問品」を大書した貨物自動車を正視するに忍びず、眼をつぶって顔をそむけたのでありましょうか。あの浅ましいすがたは救世軍の人たちではなくて、あれは全く私の心のすがたそのものであることに気付いたからであります。
 そればかりではありません。養老院の報恩講も今では初めて思い立った時ほどの張り詰めた心はいつの間にか失って、ただ年末の行事であるからというような恥ずかしい心で、しかも自分は憍慢の峰に登って人を見下していることの浅ましさ、ただ慚愧の外ないのであります。
 「火宅無常の世界はよろずのこと、みなもってそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」—親鸞聖人—

ー(了)ー

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