「問と答」-諏訪令海-

【淨寶 1927(昭和2)年4月1日発行分】

「問と答」

 私がかつて光道学校(※1)を訪ねました時、松本先生(小学校教員)は何か熱心に、生徒のしらべものをしておられました。のぞいて見ると綴り方(※2)らしい。

 「どうです、面白いのがありますか。その綴り方の題は何というのです。」

 「題は『私』というのです。」

 「私、私・・・。それは面白い、まあ見せて下さい。」

 私は興味をもって一つ一つ読んでいきました。これは(小学校)6年生のでありますが、中には、「私という題はむつかしく、とてもわかりませんから『私のかばん』という題に変えて書きます。」と前置きをして鞄について色々面白い、如何にも子供らしい観察を書いているのがあります。次々に読んでいくうちに実に驚きました。

 「松本先生、これはどうです。実にすばらしいものを書いているではありませんか。私は最前、題は『私』というのですと聞いた時、これは面白い、流石は松本先生じゃと思いました。しかし相手が小学校の6年生でしょう。いかに松本先生の生徒でも、とてもこれは書けまいと思ったのです。ところが実に驚きました。これをご覧なさい。」

                                        

 『私』

 私、私、私。いったい私といふものはなんだらう。

 いくら考へても私といふのは、やはり私だ。

 この体の全体が私なのか、心が私なのか、わからない。

 ふつう友達にでも、お父さんお母さん等に私、私といってゐるが急に、先生が私という字を黒板に書かれると、なんだか深い、いみがありそうに見える。

 体の全部が私とすると指一本でもやはり私だ。

 けれども指一本をもって私といふ馬鹿は居ない。

 ほんとに私といふものは何をさしていってゐるのでせう。

                                        

 これは行も点も、井東ハルさんの書いたそのままで、振り仮名は私が付けたものです。

 「松本先生、あなたは生徒に『私』とはどんなものですとお話なさるつもりでこの題を出したのですか。」

 「全く問題は出しましたが、先生も、そう簡単に答えるわけにはいきませんネ。」

 「松本先生、これは誰の句か知りませんがこの間見つけました。なかなか面白いからお目にかけましょう。」

さびしき鳥よ こちらむいたれば 我居たり

                  〇

 ハルさんの「私」は、「私」という問題に対して、「私は・・・こんなものであります。」というような、いわゆる普通の答えにはなっていないのであります。

 我々は、とかく答えと言えば、2に2を加えると4になる、2に3を加えたら5になるというような意味での答えでなければ、真の答えでないように思っているのであります。そういう意味から言えば、ハルさんの「私」はいわゆる答えになっていないのでしょう。

  しかし、このハルさんの「私」は普通の答えよりも、もっともっと深い大きな、これこそ真実の答えになっていると私は思うのであります。

 2に2を加えれば4になる。4を2で割れば答えは2になるというような、我々の普通の理智の頭で割り切れたような小さな答えではありません。「私とは・・・です。」と答えることのできるような小さな答えではありません。むしろ、それは割っても割っても割り切れることのできぬ程に、深い大きな問題で、しかもこの問題に対して、「私は・・・であります。」と、化石した安価な答えを与えないで、「私というものは、ほんとに何をさして言っているのでしょう。」と、真の問題を問題として、その前に突っ立つところにこそ、無限に進展する生きた答えがあるのであります。

 私はとかく、安価な解決の答えを得て、何とか早く問題を片づけて、そこに腰をおろして安心しようとするのであります。そうする方が苦しみが少なくて楽だからであります。そうした答えは化石した信仰の死骸にすぎぬのであります。

 私は2×2は4と割り切ることのできる安価な信仰の答えを求めようとしないで、むしろ割り切ることのできぬ程の大きな問題を真の問題として、それに突き進む全体の上に、常に生きて流れ動く大きな答えを味わって行きたいと思うのであります。

 いつかも、日曜学校(※3)をすまして生徒たちと縁で日向ぼっこをしていると、そこにいた(小学校)三年生のすみさんが、阿部先生(日曜学校教師)に、「先生、わたしたちはこの世の中へ何しに生まれて来たのでしょうか・・・聞かして下さいな。」と言ったそうであります。

 私はそれを聞いた時に、非常な驚きを感ずると同時に、私自身の内に省みてつくづく淋しさを感じましたが、その刹那、翻ってまた大きな喜びを感じたのであります。それはこの一少女によって大きな尊いものを与えて頂いたからであります。それは一つの答えでなしに、大きな問題を与えてくれたのであります。

 この大きな問題を与えられたことによって、近頃、行き詰った苦しさを感じていた私の日曜学校の問題に対して、広い広い道を開いてくれたのでありました。しかもそれは単なる日曜学校の問題にとどまらず、それはそのまんま、私自身の全体の問題に対する道であります。

 しかしそれは、苦しんでいた問題に対する、2×2が4と割り切れた答えの道を与えてもらったのではありません。とかく私が問題に対して、「それは・・・まあ、こうしたものだ。」と、いい加減に安価な答えを得て、化城に閉じこもって、惰眠をむさぼろうとする私をゆすぶり起こして、真の問題の前へ連れ出してくれ、そして、私の真剣に歩むべき尊い道を与えてくれたのであります。

 それは、いわゆる、いい加減なところへ、落ち着きを得た、安心したというようなところではありません。これから私はこの与えられた問題の道に一生けんめいに歩まねばならぬのであります。

 与えられた水火二河の真ん中の白道(※4)に、仰向けになって安心して眠りこむのではありません。眠りこんだ時は堕ちるときであります。恐ろしい炎に焼きつくされ、さかまく怒涛にのまれ溺れるときであります。

 私は、「来たれ」という本願招喚の御声(※5)の前に、ただ徒らに安心して腰をおろさないで、喚ばるる御声のまにまに力強く歩まねばなりません、進まねばなりません。

                        (了)

                                        

(※1)浄土真宗のみ教えに基づく私塾が前身となる、広島市内にあった私立小学校。当時としては珍しい、1学年1学級、男女共学の教育体制であったという。原爆により壊滅し廃校となる

(※2)現在でいう作文のこと

(※3)毎週日曜日に近所の子供を集めて開くお寺の私塾

(※4)search→「二河白道」

(※5)生きとし生けるものを真実の悟りへと至らしめる阿弥陀仏の「わが救いに疑いなくまかせよ」という呼び声。「南無阿弥陀仏」のお念仏のこと

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